発心とは、仏道に入り、悟りの智慧を得ようとする志を起こすこと、求道の念を起こすこと、菩提心を起こすこと、仏になろうとする心を起こすことです。発菩提心と同じように使われます。
・「発心は一発にしてさらに発心せず、修行は無量なり、証果は一証なりとのみきくは、仏法をきくにあらず、仏法をしれるにあらず、仏法にあふにあらず。」(「正法眼蔵」発菩提心)
・「我らが身心は、まことに三世の諸仏とおなじくおこなひける道理あり、発心しける道理もありぬべくみゆるなり。この身心のさき、のちをかへりみてらせば、尋ぬべき人の我にあらず、人にあらざらんには、なにをとどこほる処としてか、三世にはへだたれりとおもはん。」(「正法眼蔵」唯仏与仏)
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