【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】8、パスーラ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

824 彼らは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。

825 彼らは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を愚者であると烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。

826 集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると怒る。

827 諸々の審判者が彼の所論に対し「あなたの議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「彼はわたしを打ち負かした」といって悲泣する。

828 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。人はこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、何の役にも立たないからである。

829 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、彼はそのために喜んで、心が高ぶる。

830 心の高ぶりというものは、彼の害われる場所である。しかるに彼は慢心・増上慢心の言葉をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。

831 たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求めて、喚声を挙げて進んでゆくようなものである。勇士よ。かのあなたに相応しい、真理に達した人のいるところに到れ。相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのである。

832 特殊な偏見を固執して論争し、「これのみが真実である」と言う人々がいるならば、あなたは彼に言え、「論争が起こっても、あなたと対論する者はここにいない」と。

833 また彼らは対立を離脱して行い、一つの見解を他の諸々の偏見と抗争させない人々なのであるが、彼らに対して、あなたは何を得ようとするのか?パスーラよ。彼らの間で、「最上のもの」として固執されたものは、ここには存在しないのである。

834 さてあなたは「自分こそ勝利を得るであろう」と思いを巡らし、心中に諸々の偏見を考えて、邪悪をはらい除いた人(ブッダ)と論争しようと、やって来られたが、あなたも実にそれだけならば、それを実現することは、とてもできない。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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