真言宗の出来事

便り

満福寺-埼玉県幸手市

・幸手観音満福寺 真言宗智山派 埼玉県幸手市中4-14-34戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願所として秀栄和尚により観世音菩薩を奉遷し開基されたと伝えられています。1489年(延徳元年)の供養塔がありますので開山はその頃かとも推察されます。(リンク先より) << 戻る
便り

長谷寺-徳島県鳴門市

・長谷寺 高野山真言宗 徳島県鳴門市撫養町木津1037-11480 文明12年 船戸左衛門尉次正(ふなどさえもんのじょうつぐまさ)によって長谷寺が創建されました。寺伝によると船戸次正は、細川の家臣とされています。主君の仇を討つべく、大和の長谷観音を信仰し、願を立てていました。(リンク先より) << 戻る
便り

吉祥院-埼玉県川口市

・珍珠山・多聞寺・吉祥院 真言宗智山派 埼玉県川口市南町2-6-8珍珠山・多聞寺・吉祥院です。その歴史をさかのぼると今からおよそ550年前、1470年(文明2年)になります。この頃には荒川(旧入間川)の清域に堂宇が建立されていたと伝えられます。それから歳月の流れる中、末寺十一カ寺を有りし、鎮守には八幡社が勧請されておりました。(リンク先より) << 戻る
便り

安福寺-茨城県つくば市

・安福寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市西大橋459寺伝によると当山は鎌倉時代中期に創建され、中興第一世は永国大聖寺住職第六世の弟子、良栄が文明元年に再興し大伽藍を建立したが元禄年間に焼失、のちに再建し大師信仰の中心地として今に至る。当山名称は金剛山無量寿院安福寺と申し真言宗豊山派に属する古刹であります。(リンク先より)※文明元年 1469年 << 戻る
便り

蓮華寺-京都府京都市右京区

・蓮華寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内20藤原康基は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移される。(リンク先より) << 戻る
便り

神宮寺-沖縄県宜野湾市

・神宮寺 東寺真言宗 沖縄県宜野湾市普天間1-27-11当山は一四五九年に尚泰久王(しょうたいきゅうおう)の勅願(ちょくがん)により住民の祈願所として建立されました。史実は定かではありませんが、当時は首里から中部方面の視察の際に、御休み処がこの普天間にあり徐々に整備され、尚泰久王の勅願により開山になったと言われています。(リンク先より) << 戻る
便り

清眼寺-岡山県津山市

・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る
人物

満済(まんさい)- 『満済准后日記』(まんさいじゅごうにっき)

満済とは、南北朝時代から室町時代中期にかけての醍醐寺の僧侶。僧としては破格の准三后を授かったことから、満済准后、法身院准后、三宝院満済としても知られます。安土桃山時代の義演准后と並んで醍醐寺中興の祖として知られます。また、具注暦の裏にその日の出来事を記録しておいた『満済准后日記』(『法身院准后記』)で、応永18年(1411年)から入滅の年までの記事があり、自筆本も伝わり(現在は醍醐寺と国立国会図書館蔵。共に、重要文化財)、当時の政治情勢が克明に記録していることから、室町時代の極めて重要な史料となっています。父は関白二条兼基の子・良冬を始祖とする従一位・権大納言今小路基冬。母は聖護院房官法印源意...
便り

常福寺-兵庫県川西市

・常福寺 真言宗御室派 兵庫県川西市山原2-14-6常福寺は、兵庫県川西市山原の地にあります。山号を「星山」 寺名を「常福寺」と称します。正長元年(1428)能勢 高代寺の僧 快清上人が修行道場として開山。(リンク先より) << 戻る
便り

西念寺-岡山県備前市

・西念寺 浄土真宗本願寺派 岡山県備前市日生町日生980応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず(リンク先より) << 戻る
便り

浄光寺-長野県上高井郡

・浄光寺 真言宗豊山派 長野県上高井郡小布施町雁田676浄光寺は国の重要文化財にしていされている薬師堂(室町初期1408年建立)があり、2008年で建立満六百年を迎えました。今では基調な茅葺屋根も2007年に葺き替え工事を行い綺麗になりました。また縁結びのお薬師さんとしても親しまれ若い男女も多く訪れています。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

竪精論議始まる(けんせいろんぎ)

応永十四年(1407年)5月3日、二者対立して論議の勝敗をあらそう竪精論議始まる。竪精(りっせい)とは、高野山の僧侶が履修する「学道」と呼ばれる真言教学について研鑽する一連の儀礼の一つで論議の方式を言います。僧侶の研究精神を高める、また天皇や先覚者への供養などのために、奈良興福寺で行われていた論議を導入し初めて行われました。以来、例年、旧暦の5月3日に行われています。この竪精の論議は、高野山に住む僧侶の序列、検校法印を最高位として昇進する課程における重要な関門、いわば試験とも言えます。論議では弟子役の竪義(りゅうぎ)と呼ばれる僧侶が師役の精義と呼ばれる僧侶に対し、難題を問うてその解答を求めます...
便り

誕生院-佐賀県鹿島市

・誕生院 新義真言宗 佐賀県鹿島市大字納富分2011誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。(リンク先より)※応永十二年 1405年 << 戻る
便り

正光寺-千葉県袖ヶ浦市

・お地蔵さんのお寺 正光寺 真言宗智山派 千葉県袖ヶ浦市蔵波1662延命山正光寺は、今を遡ることおよそ600年前、 應永6年(1399年)に、在原善政氏により創建されました。その後荒廃するも、元禄の頃 元清法印が中興開山し、以来師資相承され、またお寺の周辺袖ヶ浦市蔵波地域には、在原姓が多く、伝説では平安時代 六歌仙の一人で、 伊勢物語の主人公である在原業平の末裔とも語り継がれ、在原家の一族を中心にお寺が護持されて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
便り

平福寺-長野県岡谷市

・平福寺 真言宗智山派 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22彌林山平福寺は、弘法大師空海(774-835)の密教を擁護する道場として開創されました。その開基は不詳ですが、諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされ、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。また傍らに正八幡大菩薩の社があり、仏殿にはその本地仏・阿弥陀如来が安置されていました。(リンク先より) << 戻る
便り

報恩寺-千葉県野田市

・野田厄除大師大師山報恩寺 真言宗豊山派 千葉県野田市中野台651-1報恩寺は応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。(リンク先より) << 戻る
便り

常保寺-東京都青梅市

・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

円泉寺-東京都世田谷区

・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る
年表

泉蔵寺の創建

『風土記稿』では永徳二(1382)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊。近世においては石神井三宝寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。(「朝霞市史」より)
便り

瀧谷寺-福井県坂井市

・瀧谷寺 真言宗智山派 福井県坂井市三国町滝谷1-7-15南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山されました。中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として、当寺は篤い帰依と保護を受けました。(リンク先より) << 戻る
便り

般若寺-埼玉県児玉郡

・般若寺 真言宗豊山派 埼玉県児玉郡神川町大字上阿久原58般若寺は埼玉県児玉郡神川町にある真言宗豊山派の寺院で、1374年に良重僧正様が開山致しました。(リンク先より) << 戻る
便り

雲龍院-京都府京都市東山区

・雲龍院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。雲龍院は応安五年(一三七二)後光厳天皇の御建立にして、後、同所に後円融天皇、康応元年(一三八九)龍華殿を御建立せられ、御宸翰を下して妙法写経を始められる。両帝は屡々行幸になり開山竹厳聖皐上人に聞法受戒せらる。晏駕に先立ちて剃髪染衣せられ、上人の引導を受けて背後の山に埋葬し奉ったのである。(リンク先より) << 戻る
便り

護国寺-沖縄県那覇市

・護国寺 高野山真言宗 沖縄県那覇市若狭1-25-51368年に創建され、開山は薩摩の国(鹿児島県)坊津の一乗院より来琉された頼重法印(らいじゅうほういん)とされております。当時の琉球国王察度(さっと)の尊信を得て勅願寺として建立され、天下泰平、鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を祈願し、県内で最初の密教道場となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

長生寺-神奈川県横浜市金沢区

・壽楽山・長生寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市金沢区六浦2-8-2長生寺は もとは真言宗で無量院と言い、釜利谷の小泉の谷戸にありましたが、康安元年(1361年)に六浦の荘、川村平分に移りました。文明年間に本願寺第8代門主、蓮如上人が関東遊化の折、野島から横須賀浦辺までの船中で時の住職が上人に帰依し、六字の尊号染筆と法名、釈頓乗を賜わり、天文元年(1532年)、浄土真宗に改宗し当山開基となりました。寺号を長生寺と改め、寛永年間現在の六浦の荘、三分に移築されました。(リンク先より) << 戻る
便り

圓應寺-山形県山形市

・圓應寺 真言宗智山派 山形県山形市宮町4-16-33延文元年(1356)、斯波兼頼公が山形城主として山形に入部の際、築城のしばしの間城の鬼門と言われる北東方角に位置した現在地に仮小屋を建て、弘法大師作と伝えられる、自身の兜の前立てとして付けていた聖観世音(五寸の黄金像)を、守護仏として奉安したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
便り

弘法寺-青森県つがる市

・弘法寺 高野山真言宗 青森県つがる市木造吹原字屏風山1-244開創などは、一時天災により寺が消失しており記録が残されていないため不明である。唯一現存する7代目住職の位牌が、貞和4年(1347年)7月6日の年号があることから開創から900年ほどの歴史があると思われる。(リンク先より) << 戻る
便り

福性寺-東京都北区

・福性寺公式ホームページ 真言宗豊山派 東京都北区堀船3-10-16豊嶋八十八ヶ所霊場第五十七番です。福性寺の開基は不明です。しかし、最も古いお墓は暦応2年(西暦1339年)、後醍醐天皇の亡くなった年のお墓です。すでに庶民のお寺として七百年の歴史があります。(リンク先より) << 戻る
便り

円通寺-埼玉県比企郡

・円通寺 真言宗霊雲寺派 埼玉県比企郡川島町畑中764-11338年(暦応元年)の板碑もありますが、創立年代は現在も明らかではありません。1699年(元禄12年)には、第一世 正圓智道和尚が本尊 馬頭観世音菩薩および本堂を中興しました。(リンク先より) << 戻る
便り

大楽寺-大分県宇佐市

・大楽寺 高野山真言宗 大分県宇佐市大字南宇佐2077元弘3年(1333)、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として創建された。開基は宇佐八幡宮大宮司 宇佐宿祢到津公連公、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。翌元弘4年(1334)、建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐神宮の神威に叡感あって鎮護国家を記念され、 この時到津家の菩提寺であった大楽寺を勅願寺に定められた。(リンク先より) << 戻る
便り

普門寺-茨城県つくば市

・普門寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市神郡970普門寺は鎌倉時代末、元享年間(1321~1324年)、筑波山麓一帯で布教活動を続けていた乗海大和尚によって開創された真言宗豊山派の寺院であり、慈眼山三光院普門寺と号し、御本尊は平安時代末の高僧惠心僧都御作とされる阿弥陀如来(秘仏)である。(リンク先より) << 戻る
便り

西光寺-静岡県磐田市

・西光寺 時宗 静岡県磐田市見付3353-1文永2年(1265)4月8日に、真言宗の傾木和尚が、この地にお堂を建立されました。その後、12年の年月を経てようやく寺院の形が整い、ご本尊の開眼を迎えるだけになりました。傾木和尚は、ご本尊の開眼を当時一切衆生の済度を志し、全国を遊行されている一遍上人にお願いしたいとお考えになりました。(リンク先より) << 戻る
年表

町石が建てられる

文永二年~弘安八年(1265年~1285年)、高野山麓慈尊院から山上まで町石が建てられる。<< 戻る