「 戒名 」 一覧

森長可(もりながよし)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系、河内源氏の棟梁・源義家の六男・義隆を祖とする森氏(仮冒の説あり)。父は森可成。兄に森可隆、弟に森成利ら。 ...

池田恒興(いけだつねおき)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。池田恒利の子。子に元助、輝政など。 尾張犬山城主、摂津兵庫城主、美濃大垣城主。通称は勝三郎。紀伊守 ...

龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国の戦国大名。 仏門にいた時期は中納言円月坊を称し、還俗後は初め胤信を名乗り、大内義隆から偏諱をうけて隆胤、次いで隆信と改めた。 「五州二島の ...

織田信孝(おだのぶたか/のぶのり)

  安土桃山時代の武将、大名。織田信長の三男。伊勢国北部を支配していた豪族(国衆)神戸氏の養子となってこれを継いだため、神戸信孝(かんべ のぶたか)とも名乗った。 生誕 永禄元年4月4日(1 ...

お市の方(おいちのかた)

  お市の方は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。小谷の方、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「市姫」とも云い、『好古類纂』収録の織田家系譜には「秀子」という名が記されている ...

柴田勝家(しばたかついえ)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。織田信長の筆頭家老。戦上手で勇猛果敢、情に厚い性格だったと伝わる。織田信長の妹「お市の方」の再婚相手。 生誕 大永2年(1522年) 命 ...

斎藤利三(さいとうとしみつ)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。春日局の父。 生誕 天文3年(1534年) 命日 天正10年6月17日(1582年7月6日) 陽剛院殿亡蹄利三居士 << 戻る

明智光秀(あけちみつひで)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。 越前の朝倉義景に仕えた後、織田信長に従う。細川藤孝(幽斎)と共に将軍足利義昭と信長の間を取りもち、公家との交渉で力を発揮した。信長の命で丹 ...

織田信長(おだのぶなが)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。三英傑の一人。全国統一を推し進めた。 尾張の清洲の城主で1560年に桶狭間の戦いで今川義元をやぶった後、急激に勢力を強めた。1568年、 ...

森蘭丸(もりらんまる/成利/なりとし)

  安土桃山時代の武将。織田信長の近習。俗称は蘭丸。本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。名前については異説が多く、幼名を乱(らん)とするものや、諱を長定(ながさだ)や長康(ながやす)と ...

織田信忠(おだのぶただ)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田信長から生前に家督を譲られ、後継者と認められた。織田家当主二代目となる。武田氏を滅亡させた直後に本能寺の変で父・信長は本能寺、信忠は新二 ...

武田勝頼(たけだかつより)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。 通称は四郎。当初は諏訪氏(高遠諏訪氏)を継いだため、諏訪四郎勝頼、あるいは信濃国伊那谷の高遠城主であったため ...

松平信康(まつだいらのぶやす)- 徳川信康(とくがわのぶやす)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の長男。母は関口親永の娘で今川義元の姪・築山殿。また、後に松平宗家の居城の岡崎城主を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎三郎と名乗った。 ...

竹中半兵衛(たけなかはんべえ/重治/しげはる)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利。 羽柴秀吉の参謀として活躍し、黒田孝高と共に「両兵衛」「二 ...

上杉謙信(うえすぎけんしん/輝虎/てるとら)

  戦国時代の越後国の大名。関東管領。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代 ...

浄心寺-長野県安曇野市

・一佛山光明院浄心寺 浄土宗 長野県安曇野市三郷小倉3360-ヘ 創建 天正6年(1578年) 開山 存蓮社唯称泉譽上人 開基 光明院殿一譽脱叟浄心大居士 小笠原但馬守貞政(リンク先より) << 戻る

浅井長政(あざいながまさ)

  戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。 浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を ...

朝倉義景(あさくらよしかげ)

  戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏第11代の当主。 天文17年(1548年)3月、父の孝景が死去したため、16歳で家督を相続して第11代当主となり、延景と名乗る。9月9日には京 ...

武田信玄(たけだしんげん/晴信/はるのぶ)

  戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・ ...

良珊寺-群馬県渋川市

・良珊寺 曹洞宗 群馬県渋川市上郷2919 如意山良珊寺の開創は天正年間(1573-1592)のことと伝えられている。貞享5年(1688)の「除地の覚」によれば、その発祥は、白井城主長尾昌賢の家来の佐 ...

北条氏康(ほうじょううじやす)

  戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残す ...

島津貴久(しまづたかひさ)

  戦国時代の武将。薩摩の守護大名・戦国大名。島津氏の第15代当主。 生誕 永正11年5月5日(1514年5月28日) 命日 元亀2年6月23日(1571年7月15日) 南林寺殿大中良等庵主 ...

永隣寺-群馬県富岡市

・永隣寺 曹洞宗 群馬県富岡市下丹生1568-1 小幡信氏公が国峰城、宮崎城の両城の城主であった時、永隣寺を建て菩提寺とし、寺領として9,750坪を寄進した。信氏公は、永禄12年12月6日、静岡の蒲原 ...

足利義輝(あしかがよしてる)

  室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年〈天文15年〉- 1565年〈永禄8年〉)。足利宗家第20代当主。 宣教師ルイス・フロイスは、義輝を「とても武勇すぐ ...

尼子晴久(あまごはるひさ)

  戦国時代、出雲国の戦国大名、出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆の守護大名。尼子経久の嫡孫に当たる。山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し中国地方一の大大名となった。また ...

今川義元(いまがわよしもと)

  戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支 ...

織田信行(おだのぶゆき)

  戦国時代の尾張の武将。同時代史料に見える諱は信行ではなく、信勝、達成、信成である。父は織田弾正忠家の織田信秀、母は土田御前で織田信長の同母弟である。 信行は、父の信秀の生前から尾張国内に ...

斎藤道三(さいとうどうさん/利政/としまさ)

  戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。 名としては、長井規秀・長井秀龍・斎藤利政・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原規秀・斎藤利政・道三などのみである。現 ...

陶晴賢/陶隆房(すえはるかた/たかふさ)

  戦国時代の武将。大内氏の家臣。 晴賢と名乗ったのは、天文20年に主君・大内義隆を討ち大友晴英を当主に据えてから厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけであり、それまでは初名の隆房を名乗って ...

大内義隆(おおうちよしたか)

  戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。 周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主 。第15代当主・大内義興の嫡男。母は正室の内藤弘矩の娘。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた。官 ...

太寧寺-山梨県甲斐市

・太寧寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲斐市吉沢215 開基 役の行者・神変菩薩 年限未詳 開山 勅謚大法禅師竺仙梵僊大和尚 1550年頃 再開基 武田信玄の将・馬場美濃守(法号 乾叟自元大居士) 天正元年 ...

尼子経久(あまごつねひさ)

  戦国時代の武将・大名。出雲守護代。一度は守護代の地位を追われながらも後に復権、さらに主家からも独立して下剋上を果たし、「謀聖」「十一ヶ国太守」と呼ばれるまでの大物にのし上がった。 生誕  ...



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.