788年

人物

馬祖道一(ばそどういつ)

中国唐の時代の禅僧。漢州什邡県の出身。南嶽懐譲に就いて嗣法。弟子には百丈懐海、南泉普願、大梅法常、塩官斉安、西堂智蔵、興善惟寛、麻浴宝徹がいる。諡は大寂禅師。洪州開元寺。『馬祖大寂禅師語録』日常生活の中に悟りがある大機大用の禅を説き、「平常心是道」、「即心即仏」など一言で悟りを表す数多くの名言を残す。また、相手に合わせて教え方を変える対機説法を始め、これによって多彩な弟子を育てた。・「南嶽の磚を磨して鏡を求めしも、馬祖の作仏を求めしを戒めたり。坐禅を制するにはあらざるなり。」(『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて)・「かつて馬祖の会に参じてとふ、如何是仏と。馬祖云く、即心是仏と...
便り

比叡山延暦寺-滋賀県大津市

・比叡山延暦寺 天台宗 滋賀県大津市坂本本町4220最澄は12歳で近江の国分寺行表(ぎょうひょう)の弟子となり、宝亀11年(780)に得度、延暦4年(785)に奈良の東大寺戒壇院で具足戒(250戒)を受け、国に認められた正式な僧侶となられたのです。受戒後3ヵ月ほどで奈良を離れ、比叡山に分け入り修行の生活に入られました。そして若き僧最澄は願文を作り、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を下りないと、み仏に誓いました。その後、延暦7年(788)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を刻まれました。最澄亡き後、一乗止観院は「延暦寺」の寺額を勅賜され、比叡山延暦寺と呼ばれるようになりま...
年表

空海上人の仏道修行

延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤操大徳(ごんそうだいとく)から「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を授かり、大峯山(おおみねさん)や阿波(徳島県)の大滝ガ嶽(たいりゅうがだけ)、土佐(高知県)の室戸崎(むろとのさき)などの霊所で修行を続けられま...
年表

最澄上人、一乗止観院を建立

延暦7年(788)年、最澄上人は薬師如来を安置する一乗止観院を建立します。現在の総本堂・根本中堂にあたります。<< 戻る