1602年

人物

小早川秀秋(こばやかわひであき)

安土桃山時代の大名。丹波国亀山城主、筑前国名島城主を経て備前国岡山城主。名は関ヶ原の戦いの後に秀詮と改名した。 豊臣秀吉の正室・高台院の甥。秀吉の親族として豊臣家では重きをなし、小早川隆景と養子縁組した後には、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った。生誕 天正10年(1582年)命日 慶長7年10月18日(1602年12月1日)瑞雲院秀巌日詮<< 戻る
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圓應寺-福岡県福岡市中央区

・圓應寺 浄土宗 福岡県福岡市中央区大手門3-1-71602年4月(慶長7年)4月、福岡藩の始祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)公の夫人、照福院殿(光姫)君が初めて寺院を開基し、黒田如水の本尊阿弥陀如来像(快慶作)寄進を受け、天蓮社眞譽上人見道大和尚を呼び寄せ開山。黒田家の菩提寺とした。(リンク先より) << 戻る
人物

井伊直政(いいなおまさ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。生誕 永禄4年2月19日(1561年3月4日)命日 慶長7年2月1日(1602年3月24日)祥壽院殿清凉泰安大居士<< 戻る
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徳川家康、教如に京都烏丸七条の寺地を寄付(東西本願寺分立)

1602(慶長七)年2月、徳川家康、教如に京都烏丸六条の寺地を寄付(東西本願寺分立)。東西本願寺分立に至るまでの大きな分岐点としては、1591(天正十九)年、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は七条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した1592(文禄(ぶんろく)元)年、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状(ゆずりじょう)があったので、教如上人は隠退して裏方(うらかた)と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に...
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法音寺-大分県臼杵市

・法音寺 日蓮宗 大分県臼杵市二王座18組慶長七年(1602年)臼杵城城主、稲葉一通公が、小倉城主である細川忠興公の姫君を正室に迎えるため、その菩提寺として建立されました。その姫の名は「たら」徳雲院殿と申し、母親は細川ガラシャ(明智光秀公の娘)です。また、世界中に仏舎利塔を建立した、藤井日達上人が出家された寺院でもあります。(リンク先より) << 戻る
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開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
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明宗寺-島根県松江市

・明宗寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市寺町122慶長年間に開山されており、出雲地方で最も古くから浄土真宗寺院として開かれた寺院といわれています。また、明宗寺という寺号は慶長7年(1602)に本山より拝領されたものと記録されています。開基(初代)は僧・顕俊。摂州西成郡中島草刈の村・定専庄三番坊第4世了顕の弟で、俗名は楠木右京之進正俊といい、楠木正成の6代後の子孫にあたります。(リンク先より) << 戻る
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本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区

・本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。 慶長7年(1602)京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進される。慶長8年(1603)上野国妙安寺みょうあんじ(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れ、同年阿弥陀堂建立。慶長9年(1604)御影堂を建立し、ここに新たな本願寺を創立した。これが当派の本山である「...
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報恩寺-神奈川県綾瀬市

・陽廣山 報恩寺 曹洞宗 神奈川県綾瀬市寺尾南2-10-1報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院として開山されました。御開山は朝岩存夙大和尚(ちょうがんそんしゅく)(1618卒)、開基は後藤右近(ごとううこん) 心宗永伝居士(しんしゅうようでんこじ)です。御開山の朝岩存夙大和尚は、本寺 藤沢市遠藤の宝泉寺の六世であり、当山二世悦堂存怡大和尚(えつどうそんい)(1648卒)は宝泉寺七世になります、報恩寺の開山は小田原北条氏の家臣であったとも伝えられ、当山の末寺 大和の宗昌寺、寺尾の常久院の開山である、当山三世林室宗茂大和尚(りんしつしゅうも)(1648卒)は、師匠とその師匠を勧請開...
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養国寺-東京都新宿区

・養国寺 公式ホームページ 曹洞宗 東京都新宿区愛住町21養国寺は慶長七年(1602)、祥岩存吉大和尚により麹町半蔵門近くに開創されました。その後、寛永11年(1634)現在の愛住町へ移転しました。410年以上の星霜を重ねて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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光陽寺-愛知県犬山市

・瑞林山 光陽寺 臨済宗妙心寺派 愛知県犬山市大字今井字寺ノ前6当寺の最初の起源については不明ですが、村自体が平家の落人部落と伝承されており、実際は相当古いと思われます。正式には慶長七年(1602)、当時尾張に勢力を振るっていた犬山瑞泉寺の住職を初代に迎え臨済宗寺院となったのを開創としております。(リンク先より) << 戻る
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觀音寺-徳島県板野郡

・觀音寺 高野山真言宗 徳島県板野郡松茂町長岸120四国三郎のひとつ、吉野川河口にできた自然の中洲を開拓して発展した土地です。吉野川の支流は、決壊することも多く、觀音寺の境内も流されたようです。1602年に開基されましたが、境内地が洪水より流されたため150年ぐらい前に現在地に移転されたと記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-徳島県鳴門市

光徳寺(こうとくじ)山号は白毫山。宗派は浄土宗に属し、開創は1602年で、本尊は阿弥陀如来。阿波西国三十三ヶ所霊場第15番(十一面観音)阿弥陀如来坐像:市指定文化財(鎌倉時代)十一面観音立像:市指定文化財(鎌倉時代)