1273年

便り

正伝護国禅寺-京都府京都市北区

・吉祥山正伝護国禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市北区西賀茂北鎮守庵町72文応元年(1260)に中国の栄より来朝した、兀菴普寧禅師に師事すること多年、遂にその蘊奥を極められたという。文永十年(1273)に聖護院の静成法印が東巌禅師に帰依し、亀山天皇の勅許を蒙り京都烏丸今出川付近に祭殿一宇を建立したのに始まる。(リンク先より) << 戻る
年表

一遍上人の遊行

再び修行する決心を固められた一遍上人は、故郷へ戻り、窪寺という閑室にこもり一人念仏三昧されます。この三年間の参籠の間に「十一不二頌じゅういちふにじゅ」(一遍上人の悟り境地を表す漢詩)を感得されました。そして、文永10年(1273)菅生の岩屋寺での参籠を経て、家や土地など一切を捨てた遊行の旅に出られました。同行者は、超一、超二、念仏房、聖戒です。ただし、聖戒とは桜井(愛媛県今治市)で「臨終の時は必ず再会しましょう」と約束して別れています。まず、当時極楽の東門の中心と考えられていた四天王寺を訪れた一遍上人は、本尊に念仏勧進の願を立てて、それを生涯の使命とされました。一遍上人は遊行によって、学問や理...