12月19日

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12月の出来事/有名人の誕生日・命日

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12月19日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 12月25日二七日忌 1月1日三七日忌 1月8日四七日忌 1月15日五七日忌・35日法要 1月22日六七日忌 1月29日七七日忌・満中陰・四十九日法要 2月5日百箇日忌 3月28日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
人物

井深大(いぶかまさる)

電子技術者および実業家。盛田昭夫と共にソニーの創業者の一人。生誕 1908年(明治41年)4月11日命日 1997年(平成9年)12月19日<< 戻る
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大岡忠相(おおおかただすけ)- 大岡越前

江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、関東地方御用掛(かんとうじかたごようがかり)や寺社奉行を務めた。越前守だったことと『大岡政談』や時代劇での名奉行としてイメージを通じて、現代では大...
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南陽慧忠(なんようえちゅう)

中国唐の時代の禅僧。越州諸曁県の出身。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には耽源がいる。諡は大証禅師。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。中国では単に国師といえば、慧忠のことを指すと言われる。大証国師。16歳の時、大鑑慧能の門下に入り、悟りを得た。師の入寂後は五嶺・四明山・天目山などを歴遊して参学し、南陽白崖山の党子谷に庵を結び40年の間隠棲した。上元2年(761年)、粛宗の勅命により長安に上り、宮廷において教えを授けた。生誕 上元2年(675年)命日 大暦10年12月19日(776年1月14日)<< 戻る