
01月20日


1月20日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 1月26日二七日忌 2月2日三七日忌 2月9日四七日忌 2月16日五七日忌・35日法要 2月23日六七日忌 3月2日七七日忌・満中陰・四十九日法要 3月9日百箇日忌 4月29日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

相澤秀禎(あいざわひでよ)
日本の実業家、芸能プロモーター。サンミュージックプロダクションの創業者で初代社長。本名は相澤芳郎(與四郎とも記されている)。自伝によれば姓名判断で上記の通称に改めたという。神奈川県横須賀市出身。実家は金物商を営んだ。1968年(昭和43年)11月27日、資本金百万円で「サンミュージック」を設立、タレント第1号は森田健作だった。ほかに水前寺清子の個人マネージャーもつとめていた。野村将希・桜田淳子・太川陽介・松田聖子・香坂みゆき・早見優・岡田有希子・酒井法子・安達祐実といったタレントをスカウト・育成し、デビューさせ、女性アイドルと言えばサンミュージックという評価を確立。1980年代半ばには有力プロ...

三國連太郎(みくにれんたろう)
俳優、映画監督。主な作品映画『善魔』(1951年)『戦国無頼』(1952年)『太平洋の鷲』(1953年)『宮本武蔵』(1954年)『警察日記』(1955年)『ビルマの竪琴 第一部・第二部』(1956年)『異母兄弟』(1957年)『鷲と鷹』(1957年)『切腹』(1962年)『飢餓海峡』(1965年)『にっぽん泥棒物語』(1966年)『神々の深き欲望』(1968年)『襤褸の旗』(1974年)『金環蝕』(1975年)『犬神家の一族』(1976年)『八甲田山』(1977年)『復讐するは我にあり』(1979年)『マルサの女2』(1988年)『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年 - 2009年)『利休』...

鈴木その子(すずきそのこ)
昭和50年代から平成年代にかけての美容研究家・料理研究家である。本名、鈴木 荘能子。株式会社トキノを創業した。生誕 1932年(昭和7年)1月20日命日 2000年(平成12年)12月5日白蓮院妙容日苑大姉<< 戻る

杉森久英(すぎもりひさひで)
小説家。1962(昭和37)年に同郷の作家島田清次郎の伝奇小説『天才と狂人の間』で直木賞受賞。自伝的小説『能登』で平林たい子文学賞(1985年)など、作品多数。生誕 1912年3月23日命日 1997年1月20日<< 戻る

山野愛子(やまのあいこ)
(聖鋏観音像が祀られるハサミ塚)山野愛子は日本の美容家で、日本美容界のパイオニアとして献身し、ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの審査員も務めました。山野愛子が提唱した「美・顔・体(健康美)・装・心」の「美道五道則」は、般若心経の色即是空の空の解釈を無常と捉え、美道五道則における美の無常と通じるものがあるとし、仏教の「空・無常・輪廻」が美道と根本的に同一であると、その関係性を説いています。また、1977年、8月3日を「ハサミの日」とすることを山野愛子が提唱し、1981年8月3日には増上寺に「聖鋏観音像」が建立・開眼されたことから、毎年8月3日を「ハサミの日」と定め、日頃使用している鋏に感...

金子信雄(かねこのぶお)
俳優・料理研究家・司会者・タレント。妻は丹阿彌谷津子。愛称は「ネコさん」。生誕 1923年(大正12年)3月27日命日 1995年(平成7年)1月20日<< 戻る

鈴木虎雄(すずきとらお)
古典中国文学者。東京大学卒業。京都大学教授を経て,同大名誉教授。文学博士。学士院会員。中国文学の研究によって 1961年文化勲章受章。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。燕市名誉市民。生誕 1878年(明治11年)1月18日命日 1963年(昭和38年)1月20日<< 戻る

岡田以蔵(おかだいぞう)
江戸時代末期の土佐藩郷士。司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。諱は宜振(よしふる、読みに諸説あり)。幕末の四大人斬りの一人。武市瑞山(半平太)に師事し、小野派一刀流(中西派)の麻田直養(勘七)に剣術を学ぶ。薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。1863年の八月十八日の政変後、土佐勤王党は大弾圧を受け、翌年に以蔵も捕らえられ苛烈な拷問を受ける。慶応元年(1865年)閏5月11日に打ち首、獄門となった。生誕 天保9年1月20日(1838年2月14日)命日 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)<< 戻る

源義仲(みなもとのよしなか)
平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。生誕 久寿元年(1154年)命日 寿永3年1月20日(1184年3月4日)徳音院義山宣公<< 戻る