恵心僧都

仏教を本気で学ぶ

七高僧(しちこうそう)

七高僧とは、親鸞聖人が尊敬していたインド、中国、日本の七人の高僧のことです。①龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ/ナーガールジュナ) 【150~250年】②天親菩薩(てんじんぼさつ/世親/ヴァスバンドゥ) 【400~480年】③曇鸞大師(どんらんだいし) 【476~572年】④道綽禅師(どうしゃくぜんじ) 【562~645年】⑤善導大師(ぜんどうだいし) 【613~681年】⑥源信和尚(げんしんかしょう) 【942~1017年】⑦源空聖人(げんくうしょうにん/法然) 【1133~1212年】<< 戻る
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阿日寺-奈良県香芝市

・阿日寺 浄土宗 奈良県香芝市大字良福寺361当寺は今から約千年前に恵心僧都えしんそうず(942~1017)が誕生になった寺で誕生院阿日寺と申します。恵心僧都は源信げんしん和尚かしょうともいい七高僧のお一人で念仏の始祖とも仰がれています。(リンク先より) << 戻る
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安徳寺(東浦町藤江西之宮)知多四国第11番

安徳寺(東浦町藤江西之宮)知多四国第11番広々とした境内に立派なお堂がありますが、大師堂は、本堂の片隅にこじんまりと配されています。明治初には、寺内に学校が設けられていたようです。ご本尊は、恵心僧都作と伝わる薬師如来像で、伊勢湾台風の際も難を逃れているようです。
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福海寺にて。 | 花花オーナーのブログ

福海寺は、恵心僧都(914~1017)の開山と言われ、本尊聖観音菩薩は、恵心僧都自ら一刀三礼のもと彫り上げものです。元は福衆寺と呼ばれておりましたがその後福海寺とあらためられました。(リンク先より)・福海寺にて。 | 花花オーナーのブログ
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願隆寺-愛知県名古屋市中村区

・紹光山願隆寺 真宗高田派 愛知県名古屋市中村区烏森町6-142万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。(リンク先より)※万治三年 1660年 << 戻る
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智泉院-東京都中央区

・智泉院 天台宗 東京都中央区日本橋茅場町1-5-13寛永12年(1635年)の開山。千代田区永田町の日枝神社の摂社である日本橋摂社の別当寺として創建。本尊の薬師如来は、恵心僧都源信の作で、天海僧正が日本橋摂社の本地仏として勧請したものといわれています。明治時代の神仏分離により日本橋摂社から切り離され、独立寺院になりました。 << 戻る
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西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る
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地蔵寺-愛知県名古屋市天白区

・地蔵寺 曹洞宗 愛知県名古屋市天白区島田3-113地蔵寺、通称「島田地蔵寺」、名古屋市天白区島田。嘉吉2年(1442)の創建。熊坂長範の馬盗変毛の伝説から「毛替地蔵尊」を祀る曹洞宗(禅宗)の寺院。東海地方で最古の地蔵尊(掛軸)と恵心僧都 御作と伝えられる地蔵尊があり、本尊の阿弥陀如来は定朝作と伝わる。(リンク先より) << 戻る
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『正法眼蔵随聞記』7、海中に龍門と云う処あり

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即成院-京都府京都市東山区

・即成院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町28寛治8年(1094)に造られたという来迎の阿弥陀如来と二十五の菩薩。寺伝では、恵心僧都作と言われていますが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による優品とされています。阿弥陀如来の高さは5.5メートル。居並ぶ二十五菩薩もそれぞれ像高が150センチあります。見上げるほどに大きい阿弥陀座像と二十五の菩薩の姿は、極楽浄土の世界を立体的に描いたもので、国の重要文化財に指定されています。(リンク先より)<< 戻る
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善峯寺-京都府京都市西京区

・善峯寺 天台宗 京都府京都市西京区大原野小塩町1372・第十九番 ⇒ 西国三十三所 第二十番 西山 善峯寺 ⇒ 第二十一番善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。 長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜さ...
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源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず)

源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。生誕 天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれました。源信の母が、高雄寺の観音像に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといわれ、その観音菩薩立像(重要文化財)は現存します。幼名は「千菊丸...
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吉田寺-奈良県生駒郡

・吉田寺 浄土宗 奈良県生駒郡斑鳩町大字小吉田1-1-23吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。(リンク先より) << 戻る
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『往生要集』(おうじょうようしゅう)

平安時代の中ごろにあたる985年、源信(げんしん)(恵心僧都・えしんそうず)の書いた1部3巻からなる仏教書。極楽浄土のすばらしさと念仏往生(ねんぶつおうじょう)の方法をのべたものです。この教えは、末法思想(まっぽうしそう)の流行とあいまって、貴族をはじめ、多くの人々の間に広まりました。後の時代、法然や親鸞などにあたえた影響が大きいです。死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎をつくりました。また、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神は、貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えました。一方、易行とも言える称名念仏とは別に、瞑...
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蓮蔵寺-三重県津市

・蓮蔵寺 天台真盛宗 三重県津市戸木町2078この寺は凡そ1040年余り前、応和3年(963)慈恵大師の創建と伝えられています。その後寛和2年(986)恵心僧都によって念仏道場として再建されました。延徳元年((1489)に真盛上人が恵心僧都の跡を継ぎ、法灯をかかげて不断念仏を再興し、円頓の妙戒を授け、「十方有信の四衆雲の如く集ひて財を投じ、堂舎を造立す」と記されています。(リンク先より) << 戻る
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長福寺-茨城県水戸市

・長福寺 天台宗 茨城県水戸市塩崎町1135創建は清和天皇の御代の貞観元年(859年)平安時代で開基は慈覚大師。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作。恵心僧都は源信(942~1017)で「往生要集」の作者で、中世念仏興降のさきがけの人である。また中興開山は栄尊和尚である。(リンク先より) << 戻る
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杉本寺-神奈川県鎌倉市

・杉本寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市二階堂903当山は天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。(リンク先より) << 戻る