奈良県奈良市

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正暦寺-奈良県奈良市

・正暦寺 菩提山真言宗 奈良県奈良市菩提山町157992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。(リンク先より) << 戻る
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大安寺-奈良県奈良市

・大安寺 高野山真言宗 奈良県奈良市大安寺2-18-1大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝道場を創建したことに始まります。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。この間の事情を『三代実録』元慶四年(880年)冬十月の条には次のように記します。 「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平...
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帯解寺-奈良県奈良市

・帯解寺 華厳宗 奈良県奈良市今市町734当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。(リンク先より) << 戻る
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不退寺-奈良県奈良市

・不退寺 真言律宗 奈良県奈良市法蓮東垣内町517 『大和國金龍山不退寺縁起』によると、第51代平城天皇は大同4年(809)に弟の嵯峨天皇に御譲位され、平城京の北東の地に萱葺きの御殿を造営、「萱の御所」と呼称された。その後、第1皇子阿保親王とその第5子在原業平朝臣が共に居住せられ、業平朝臣は承和12年(845)仁明天皇の詔を奉り、承和14年(847)平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を刻まれ、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺、業平寺とも呼ばれる。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-奈良県奈良市

・弘仁寺 高野山真言宗 奈良県奈良市虚空蔵町46弘仁寺の創建に関しては二つの物語が伝わっています。一説には、嵯峨天皇の夢に、老人があらわれて 「奈良の南に霊山がある。諸々の仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい。」と 申された。夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を 探されたところ、現在の虚空蔵山にあたる場所がわかり、お喜びになった嵯峨天皇が建立された(815年創建)という物語。 他説には、虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開基した(807年創建)という物語。もとより1200年を経た 現在となっては、確かめるすべはありませんが、弘仁寺は平安初期に創建...
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。江戸時代、大和郡山藩城代家老松下将監供養の為、寛永16年(1639)現在の七条の高台に士族寺として再建立されました。(リンク先より) << 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。(参考:瑞雲山 三松寺)<< 戻る
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西大寺-奈良県奈良市

・西大寺 真言律宗 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5天平宝字8年(764)9月11日、藤原仲麻呂(恵美押勝)の反乱の発覚に際して、孝謙上皇はその当日に反乱鎮圧を祈願して、『金光明経』などに鎮護国家の守護神として登場する四天王像を造立することを誓願されました。翌年の天平神護元年(765)に孝謙上皇は重祚して称徳天皇となり、誓いを果たして金銅製の四天王像を鋳造されました。これが西大寺のそもそものおこりです。(リンク先より) << 戻る
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唐招提寺-奈良県奈良市

・唐招提寺 律宗 奈良県奈良市五条町13-46鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。(リンク先より) << 戻る
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円成寺-奈良県奈良市

・円成寺 真言宗御室派 奈良県奈良市忍辱山町1273創建については諸説あります。当山に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、同書のなかで中興の祖とされている命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。(リンク先より) << 戻る
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東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る
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霊山寺-奈良県奈良市

・霊山寺 霊山寺真言宗 奈良県奈良市中町3879神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。(リンク先より)※天平八年 736年 << 戻る
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般若寺-奈良県奈良市

・般若寺 真言律宗 奈良県奈良市般若寺町221般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平7年(735年)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。(リンク先より) << 戻る
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海龍王寺-奈良県奈良市

・海龍王寺 真言律宗 奈良県奈良市法華寺町897伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄昉が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。 << 戻る
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喜光寺-奈良県奈良市

・喜光寺 法相宗 奈良県奈良市菅原町508養老5年(721)行基菩薩は、この地に住んでいた寺史乙丸という人物から平城京右京三条三坊の土地の寄進を受けられ、翌年にお寺を建てました。これが喜光寺です。行基菩薩は土地の名前から「菅原寺」と名づけられました。菅原寺(喜光寺)は、行基菩薩の建立されたお寺のなかで唯一平城京内にあり、行基菩薩の布教活動・社会事業の重要な拠点寺院となっていったのです。(リンク先より) << 戻る
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薬師寺-奈良県奈良市

・薬師寺 法相宗 奈良県奈良市西ノ京町457六八〇年 天武天皇 皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、薬師寺建立を発願する。 六八六年 天武天皇崩御。皇后であった鸕野讃良皇女が持統天皇として即位される。六八八年 無遮大会を薬師寺に設ける。六九八年 薬師寺講堂阿弥陀大繍仏の開眼供養を行う。この時ほぼ講作が終り僧侶を住まわせ始める。(リンク先より)※2020年9月確認時点でアドレスの変更があったため更新しました。<< 戻る
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興福寺-奈良県奈良市

・興福寺 法相宗 奈良県奈良市登大路町48・第八番 ⇒ 西国三十三所 第九番 興福寺 南円堂 ⇒ 第十番法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置する為に造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、...