千手観音

仏教を本気で学ぶ

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、サハスラブジャとは文字通り「千の手」の意味で、ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、実際に千...
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久安寺-大阪府池田市

・久安寺 高野山真言宗 大阪府池田市伏尾町697大阪府池田市にある高野山真言宗の寺院です。725年、行基菩薩による開創。関西花の寺霊場第12番札所。西国薬師霊場第18番札所。摂津国大師霊場第67番札所。摂津国観音霊場第19番札所。楼門と阿弥陀如来像は国指定重要文化財。本尊は千手観世音菩薩。境内のもみじの紅葉、紫陽花、つつじ、牡丹、蓮、などが人気。(リンク先より) << 戻る
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智満寺-静岡県島田市

・智満寺 天台宗 静岡県島田市千葉254南に駿河湾、志太平野を望む千葉山。杉の古木に包まれた深山幽谷の境地。まさに神仏と自然が一体になり千手観音の住む浄土、清浄のお山です。 << 戻る
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観音正寺-滋賀県近江八幡市

・観音正寺 天台宗 滋賀県近江八幡市安土町石寺2・第三十一番 ⇒ 西国三十三所 第三十二番 繖山 観音正寺 ​⇒ 第三十三番当山は1400年前、聖徳太子が繖山の山上にて千手観音を彫み、寺を開かれました。爾来この「お山」は仏教、そして観世音菩薩の聖地として脈々と法灯が受け継がれてまいりました。また1300年前には日本の巡礼信仰の基礎ともなった西国三十三所観音霊場の札所寺院として、現在までに多くの仏教徒の拠り所とされ、現在でも全国から多くの巡礼者が当山へお参りされております。(リンク先より) << 戻る
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大山寺-徳島県板野郡

・大山寺 真言宗醍醐派 徳島県板野郡上板町神宅大山4大山寺は阿讃山脈東部の大山の中腹にあり、千四百五十余年前に開かれました阿波仏法最初の寺院です。後に、弘法大師阿波入国のみぎりに、密教道場に最適の場所として山号を仏王山とされ、印度の須弥山にちなんで大山寺と名づけられて、西方笹原にあった当山を現地に移転し、諸堂を整えられると共に、恩師恵果和尚より授かった千手観世音菩薩を奉安し、当山を拠点に四国霊場を開創されました。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-京都府京都市西京区

・千光寺 単立 京都府京都市西京区嵐山中尾下町62大悲閣千光寺は、京都の西、嵐山にかかる渡月橋から約1kmあまり上流へ行った所にあり、江戸時代の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々をとむらうために、嵯峨の中院にあった千光寺を、移転し建立させたものです。源信の作と言われる千手観音菩薩を本尊としています。境内にある大悲閣は、大堰川の切り立った岩肌に建つ観音堂で、嵐峡の絶景を眺める事が出来ます。(リンク先より) << 戻る
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福厳寺-愛知県小牧市

・福厳寺 曹洞宗 愛知県小牧市大字大草5229福厳寺千手堂のご本尊は、千手千眼観世音菩薩さま(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-埼玉県熊谷市

・埼玉厄除け開運大師・龍泉寺 真言宗豊山派 埼玉県熊谷市三ケ尻3712「埼玉厄除け開運大師・龍泉寺」の始まりは今から約1200年前。平安時代、かつてこの地にあった神聖なる池から出現した、千手観音菩薩を観音山に祀ったのが始まりと言われています。(リンク先より) << 戻る
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柳沢寺-群馬県北群馬郡

・柳沢寺 天台宗 群馬県北群馬郡榛東村大字山子田2535天台宗宗祖傳教大師の東国巡行のみぎり、この地に住む群馬の太夫満行と言うものが大師の徳を慕って榛名山中の船尾の峰に"妙見院息災寺"という巨刹を創建し、大師を請じて開山しました。本尊に千手観音をお祀りし、子授け観音として有名になりました。(リンク先より) << 戻る
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慈雲寺-長野県諏訪郡

・慈雲寺 臨済宗妙心寺派 長野県諏訪郡下諏訪町東町中606(旧アドレス: 2020年12月に確認時、閲覧不可)臨済宗妙心寺派 白華山(はっかさん) 慈雲寺(じうんじ) 本尊「千手千眼観世音菩薩」 元国皇帝の国使として、中国四大仏教名山の一つ浙江省普陀山観音禅寺(現・普済禅寺)より来朝された一山一寧国師により、その印可の弟子となった諏訪大社下社大祝 金刺満貞公の願いにより、その山号、寺名のごとく、観音菩薩が仏の教えを垂れる寺、禅道場として、正安二年(1300)に開山された寺。(リンク先より) << 戻る
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雲辺寺-徳島県三好市

・雲辺寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2・65番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺 ⇒ 67番札所<< 戻る
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根香寺-香川県高松市

・根香寺 単立 香川県高松市中山町1506・81番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第82番札所 青峰山 千手院 根香寺 ⇒ 83番札所<< 戻る
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行願寺-京都府京都市中京区

・行願寺 天台宗 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17・第十八番 ⇒ 西国三十三所 第十九番 霊麀山 革堂 行願寺 ⇒ 第二十番<< 戻る
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長命寺-滋賀県近江八幡市

・長命寺 単立 滋賀県近江八幡市長命寺町157・第三十番 ⇒ 西国三十三所 第三十一番 姨綺耶山 長命寺 ​⇒ 第三十二番<< 戻る
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常満寺(ぽっくり寺)-埼玉県日高市

・ぽっくり寺 常満寺 埼玉県日高市高萩2087ぽっくり往生・ぼけ封じ・延命 常満寺 通称 ぽっくり(保久利寺)◎開 山 平成3年3月1日◎開 祖 宮木常満大和尚◎宗 派 単立寺院(禅宗系)◎ご本尊 薬師如来・千手観音・御釈迦様・十三仏・水子地蔵(リンク先より) << 戻る
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呑山観音寺-福岡県糟屋郡

・呑山観音寺 高野山真言宗 福岡県糟屋郡篠栗町大字萩尾227-4ご本尊は「千手千眼観世音菩薩」で、天保6年の篠栗霊場開創より以前からこの地に祀られてきたと伝わる石仏です。秘仏として、厨子の中に安置されていますが、10月の第3日曜日の秋季大祭の法会の時にご開帳されます。(リンク先より)※天保6年 1835年 << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-静岡県静岡市駿河区

・吉祥寺 曹洞宗 静岡県静岡市駿河区中田本町26-8慶長10年(1605)に千手観世音菩薩尊を御本尊として沓谷長源院第七世在川見昨大和尚により開山されました。大和尚は、夢枕に毘沙門天を見られ、そのお姿を自ら彫刻されました。(リンク先より) << 戻る
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智満寺-静岡県榛原郡

・智満寺 曹洞宗 静岡県榛原郡川根本町上長尾332平安時代(藤原後期)に草創され千手観音菩薩像を御本尊とし、山号を千葉山と云い、寺号を智満寺と称した。一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え曹洞宗に改宗開山された。(リンク先より) << 戻る
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妙厳寺-愛知県豊川市

・豊川稲荷豊川閣妙厳寺 曹洞宗 愛知県豊川市豊川町1東海義易禅師がここ豊川の地に妙嚴寺御開創の折、御本尊に寒巌禅師伝来の千手観世音菩薩を安置し、寒巌禅師御自作の豐川吒枳尼眞天像を山門の鎮守としてお祀りになりました。嘉吉元年(1441)旧暦十一月二十二日のことです。その霊験は顕著で、今川義元公、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等歴代著名人をはじめ広く一般信者の帰依信仰を集めて参りました。(リンク先より) << 戻る
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常幸院-山梨県南巨摩郡

・金龍山常幸院 曹洞宗 山梨県南巨摩郡身延町常葉439【開 山】 梅林禅芳大和尚(ばいりんぜんほうだいおしょう)*南明寺三世【本 寺】 南明寺(なんめいじ)*山梨県富士川町小林【開 創】 1360年代 *詳細不明(リンク先より) << 戻る
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金胎寺-富山県射水市

・金胎寺 高野山真言宗 富山県射水市戸破3315護国山金胎寺は文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。(リンク先より) << 戻る
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明言寺-群馬県邑楽郡

・明言寺 曹洞宗 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1曹洞宗月音山明言寺(そうとうしゅうげつおんざんみょうごんじ)の本尊は千手観世音菩薩です。千手観世音菩薩は、また、子〔ね〕年生まれの方の守り本尊でもあります。明言寺は、元久〔げんきゅう〕元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後、天正〔てんしょう〕2年、 曹洞宗寺院として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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蓮花院-埼玉県入間市

・蓮花院 妙智寺 【公式】 真言宗智山派 埼玉県入間市春日町2-9-1蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい、真言宗智山派に属します。本尊は大聖不動明王ですが、武蔵野三十三観音霊場十八番札所本尊である、千手千眼観世音菩薩(通称は黒須観音)が特に有名です。境内には指定文化財の観音堂のほかに、位牌堂、大師堂、弁天堂、鐘楼、山門、庫裏等があります。建長元年(1201年)、歌人としても知られた寂蓮法師により開かれたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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善峯寺-京都府京都市西京区

・善峯寺 天台宗 京都府京都市西京区大原野小塩町1372・第十九番 ⇒ 西国三十三所 第二十番 西山 善峯寺 ⇒ 第二十一番善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。 長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜さ...
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大覚寺-静岡県焼津市

・大覚寺大覚寺 曹洞宗 静岡県焼津市大覚寺1204嘉祥三(850)年、嵯峨天皇御領、入江荘を開き、伝弘法大師作薬師如来を本尊として真言宗大覚寺が開創されました。現在の「焼津市大覚寺」の地名としてこの地に残っています。たび重なる天災地変を受け大覚寺の法灯は永延二(998)年、荘園郷主大覚寺屋敷「本家 槇田家」の菩提寺として天台宗善修庵にひきつがれ、弘治三(1553)年曹洞宗全珠院に改められ、今日までの法灯を伝えています。(リンク先より) << 戻る
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本性院-岡山県倉敷市

・本性院 天台宗 岡山県倉敷市玉島黒崎4595寺伝によると、円仁(慈覚大師)によって平安時代初期の承和年間(834〜848年)に開かれ、寺は沙美の北の山中、上谷にありました。永正年間(1504〜1521年)同地区の奥に移転、観音堂を建立。その後さらに化谷(ばけだに)へと移りました。その頃の寺号は「圃福寺」で、鴨方の明王院末となります。(リンク先より) << 戻る
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安楽院-神奈川県小田原市

・安楽院 真言宗東寺派 神奈川県小田原市国府津1762【本尊】 大聖不動明王(ダイショウフドウミョウオウ) 【脇佛】 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師両部曼荼羅図像・八祖大師図像【開創】 天長10年(833年)6月15日(リンク先より) << 戻る
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白峯寺-香川県坂出市

・白峯寺 真言宗御室派 香川県坂出市青海町2635・80番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第81番札所 綾松山 洞林院  白峯寺 ⇒ 82番札所当山は弘法・智証両大師の開基である。弘法大師は、弘仁六年(815)当山に登られ、峯に如意宝珠を埋め閼伽井を掘られた。かの宝珠の地滝壺となり、三方に流れて増減なしと云う。次いで貞観二年十月の頃瀬戸の海上に流木出現し、光明に耀き異香四周に薫じたので、国司の耳に入りこれを当時入唐留学より歸朝して金倉寺に止住せられていた善知識円珍和尚に尋ねられた。和尚かの瑞光に導かれて当山に登り、山中を巡検して居ると白髪の老翁現はれて曰く「吾は此の山の地主神、和尚は正法弘通の聖者な...
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大谷寺-栃木県宇都宮市

・大谷寺 天台宗 栃木県宇都宮市大谷町1198大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきました。(リンク先より) << 戻る
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冷泉寺-滋賀県近江八幡市

・冷泉寺 曹洞宗 滋賀県近江八幡市千僧供町252大同三年(八〇八年)行基菩薩開創の七堂伽藍を備えた巨刹「蔓陀羅坊」(千僧供廃寺)遺跡を継承由来する。御本尊十一面千手観世音菩薩立像をはじめ、 薬師如来坐像、地蔵菩薩像、多聞・持国・増長・広目の四天王立像の七体は平安時代の仏像で 国の重要文化財に指定され、(昭和二十六年)この蔓陀羅坊の尊像であったものである。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-広島県尾道市

・千光寺 単立(真言宗) 広島県尾道市東土堂町15-1開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。(リンク先より) << 戻る