十一面観音

仏教を本気で学ぶ

十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
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甘露寺-京都府亀岡市

・甘露寺 曹洞宗 京都府亀岡市東別院町南掛寺の前10甘露寺は南北朝時代(1336-1392年)に法相宗の寺院として創建されたと伝わります。明和三年(1766年)の墨書がある血脈版木(けちみゃくはんぎ)が残されていることから、その頃には曹洞宗の寺院だったと考えられます。また、血脈版木は駒澤大学禅文化歴史博物館に所蔵されています。本尊の十一面観音坐像は9世紀末から10世紀初頭の作で、亀岡市では最も古い仏像と言われています。甘露寺の名前の由来は北朝第一代天皇の光厳天皇がまだ即位される前に甘露寺を訪れ、住職が差し出した甘柿をいたく気に入られ、この号を授けられたとされています。 << 戻る
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長谷寺-神奈川県鎌倉市

・長谷寺 単立 神奈川県鎌倉市長谷3-11-2往古より「長谷観音」の名で親しまれる当山は、正式には「海光山慈照院長谷寺」と号します。開創は奈良時代の天平八年(736)と伝え、聖武天皇の治世下に勅願所と定められた鎌倉有数の古刹です。本尊は十一面観世音菩薩像。木彫仏としては日本最大級(高さ9.18m)の尊像で、坂東三十三所観音霊場の第四番に数えられる当山は、東国を代表する観音霊場の象徴としてその法灯を今の世に伝えています。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-神奈川県横浜市港北区

・西方寺 単立(真言宗) 神奈川県横浜市港北区新羽町2586西方寺に伝わる江戸時代の霊簿(過去帳)の題辞に西方寺は源頼朝卿の頃、建久年間(1190)に鎌倉の笹目と言う所に「補陀洛山、安養院、西方寺」として創建され、開山は大納言通憲公の息、醍醐覚洞院座主、東大寺の別当であった勝賢僧正であると記しています。(リンク先より) << 戻る
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法真寺-岐阜県揖斐郡

・法真寺 天台宗 岐阜県揖斐郡大野町六里149-1戦後まもなく、生きがいを無くされ悩み苦しまれる人々を仏法の教えで真実のご利益を与えたいと願う思いから名づけられました。(リンク先より) << 戻る
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蓮台寺-岡山県倉敷市

・蓮台寺 真言宗御室派 岡山県倉敷市児島由加2855約1300年前、行基菩薩により「瑜伽大権現」を霊地「瑜伽山」にお迎えされ、また「本尊十一面観世音菩薩」を光を放つ香木より彫りだし、祀られたと伝えられています。 瑜伽の権現さまは人々の苦しみを除き、幸せを与える誓いを立てられた阿弥陀如来と薬師如来の二尊が(人々にわかりやすい姿として)仮に神人の姿をもって現れたのです。(リンク先より)<< 戻る
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善楽寺-高知県高知市

・善楽寺 真言宗豊山派 高知県高知市一宮しなね2丁目23−11・29番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第30番札所 百々山 東明院 善楽寺 ⇒ 31番札所平安時代初期、弘法大師様が御巡錫の際、高鴨神社(今の土佐一宮神社)の森厳幽遠なる霊域が深く御意に適われ、北部一帯の渓谷が百谷あれば入定の地に定めんと谷々を検分されましたが、九十九谷しかなく、当山を開創されて一谷を補い、山号を百々山(どどざん)と名付けられ四国第30番霊場とお定めになられました。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-沖縄県糸満市

・長谷寺 真言宗豊山派 沖縄県糸満市潮平一番地お寺には松本明慶氏による長谷型の十一面観音様をお祀りしております。観音様のお告げで、慰霊のための沖縄三十三観音霊場をこの地に創りたいと思っております。(リンク先より) << 戻る
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宝厳院-京都府京都市右京区

・大亀山 宝厳院 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町36大亀山 宝厳院(だいきざん ほうごんいん)は、臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭寺院です。 室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。ご本尊は十一面観音菩薩、脇仏には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられています。(リンク先より)<< 戻る
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満願寺-千葉県銚子市

・巡礼の寺 満願寺 単立(真言宗) 千葉県銚子市天王台9822-1愛宕山東側の中腹に、昭和51年に開創されたじゅんれいのてら・満願寺がある。この寺は第27番圓福寺本尊十一面観世音の写しの尊像を奉安し、坂東札所めぐりの巡礼が中心になり、満願成就した報恩感謝のために開創された。(リンク先より) << 戻る
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石堂寺-千葉県南房総市

・石堂寺 天台宗 千葉県南房総市石堂302創建当時の寺名は石塔寺(せきとうじ)。水晶でつくられた宝塔が、当山に納められていることに由来します。日本三石塔寺のひとつで、創建以来、安房の霊場として隆盛をきわめ、「波の伊八」や多くの国指定重要文化財を有りしています。室町時代末期に、足利頼氏を養育した縁に因み頼氏の幼名「石堂丸(いしどうまる)」をもらいうけ『石堂寺』と改称されました。(リンク先より) << 戻る
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観音院-石川県金沢市

・観音院 高野山真言宗 石川県金沢市東山1-38-1卯辰山入口にある観音院は,1200年の歴史をほこる御本尊木造十一面観菩薩をまつり、金沢の発詳にちなむ「芋掘り籐五郎」伝説として有名な歴史的由緒をもっています。(リンク先より) << 戻る
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佐竹寺-茨城県常陸太田市

・佐竹寺 真言宗豊山派 茨城県常陸太田市天神林2404本尊: 十一面観世音菩薩. 開基: 元密上人. 創立: 寛和元年(985)※掲載内容の再確認の際「2019年3月31日をもちましてYahoo!ジオシティーズのサービス提供を終了いたしました。長らくご愛顧いただき誠にありがとうございました。」と表示されたのでリンクを外しています。(旧アドレス:) << 戻る
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普談寺-新潟県新潟市秋葉区

・普談寺 真言宗智山派 新潟県新潟市秋葉区朝日2503あるお寺の副住職で新潟県議会議員の徒然なる一人法話(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-神奈川県厚木市

・長谷寺 曹洞宗 神奈川県厚木市長谷1288-1長谷観音は日本全国の三長谷観音と称し、康平・天喜(1053年前)の頃、某阿闍梨(ぼうあじゃり)が、大和の長谷寺より御姿を移され、その名を蓬莱山長谷寺(ほうらいさんはせてら)として建立す。本尊は大和(奈良)の長谷観音の十分の一の御丈二尺六寸の十一面観世御菩薩を遷座(せんざ)す。(リンク先より) << 戻る
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施福寺-大阪府和泉市

・施福寺 天台宗 大阪府和泉市槙尾山町136・第三番 ⇒ 西国三十三所 第四番 槇尾山 施福寺 (槇尾寺) ⇒ 第五番施福寺は槙尾山にあり、南に岩湧山、東に金剛山、北に大阪湾が眺望でき、春は桜、秋は紅葉が楽しめます。<< 戻る
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播州清水寺-兵庫県加東市

・播州清水寺 天台宗 兵庫県加東市平木1194・第二十四番 ⇒ 西国三十三所 第二十五番 御嶽山 播州清水寺 ⇒ 第二十六番<< 戻る
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宝円寺-愛知県北名古屋市(観音寺-愛知県一宮市)

・宝円寺・観音寺のHP 曹洞宗 愛知県北名古屋市西之保字東屋敷20山号を大法山と号し、本尊阿弥陀如来、曹洞宗三ツ淵正眼寺ソウトウシュウミツブチショウゲンジの末寺。『寛文村々覚書』に、宝蔵庵と記されています。天保四(1833)年三月に、正眼寺三十六世賢外逸俊和尚が寺号を宝円寺に改め法地開山となりました。山号を永昌山と号し、本尊十一面観世音菩薩、曹洞宗三ツ淵正眼寺の末寺。もとは真言宗の巨刹であったが、応仁の兵燹(ヘイセン)(1467)に遭ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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浄善寺-福岡県飯塚市

・浄善寺 浄土宗 福岡県飯塚市鯰田1349境内に十一面観音(修復計画中)、弘法大師門有り、又、立花実山の葬儀を司ったという証の戒名が現存する最古の過去帳にみることが出来る。嘉穂郡誌によると、浄善寺は寛文(1661~1663)初年に浄冏和尚によって開基されたとある(嘉穂郡寺院明細帳)(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-山口県周南市

・祥雲寺 曹洞宗 山口県周南市平野2-7-26正保2年(1645)平野村内の志願により十一面観音菩薩をまつる一庵を建立し、享保2年(1717)山口県周南市土井建咲院五代目住職祖椿大和尚の時代に曹洞宗寺院となり「祥雲庵」なりました。(リンク先より) << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
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瑞應寺-静岡県浜松市浜北区

・瑞應寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市浜北区新原2339-1今から四百十年前、元繩三年十二月末、三方原合戦の際、武田方の武将、新原弥左右衛門尉村一は、当地に以前よりあった岩水寺系の澗泉寺を本陣として、此の地に止まり浜松城へ対陣したが、戦い不利と悟り、徳川家康と和睦し、家康公より此の地を賜わり、自らの姓をとって新原村とした。 村作りの終った文禄二年(一五九四)、麁玉郡奉行新原弥左右衛門尉村一は、甲州より開山巌岫長老を招じて、澗泉寺北西(現地)に十一面観世音菩薩を本尊として寺を建立す。澗泉寺を廃して、臨済宗無文派に改宗し、澗泉山瑞応寺と云う。(リンク先より)<< 戻る
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海蔵寺-三重県桑名市

・海蔵寺 曹洞宗 三重県桑名市北寺町10当山は、天正2年(1574)ごろに創建され、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で、宗派は曹洞宗(禅宗)に属し、本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であります。旧伝によれば、昔は西方村にあって現在地に移りましたが、その時期は明らかではありません。(リンク先より) << 戻る
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法海寺-福島県いわき市

・法海寺
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瑞岩寺-群馬県太田市

・瑞岩寺 曹洞宗 群馬県太田市矢田堀甲388瑞岩寺という寺号(じごう)は、瑞岩寺伝によると当寺は、常陸国河内郡若芝宿金龍寺の末寺であり、天文十二年(1543年)3月15日に建立された伽藍は、 運慶作の十一面観世音菩薩を本尊としている。(リンク先より) << 戻る
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萬松寺-愛知県名古屋市中区

・亀嶽林 萬松寺 曹洞宗 愛知県名古屋市中区大須3-29-12天文九年(1540年)尾張一円を領していた古渡城主、織田備後守信秀公(織田信長の父)が、織田家の菩提寺として開基しました。御本尊は十一面観世音菩薩。開山は信秀公の伯父の大雲永瑞大和尚)。正式の寺号は亀嶽林(山)萬松寺。当時の場所は名古屋市中区錦と丸の内二、三丁目にまたがったところで、大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院、敷地は約5万5千坪にも及びました。(リンク先より) << 戻る
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海蔵寺-広島県広島市西区

・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る
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圓光寺-山梨県山梨市

・圓光寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市牧丘町杣口1092開創は暦應年中(1338年頃)。当山は、七朝帝師夢窓疎石によって開創される。開基は足利尊氏。本尊は十一面観世音菩薩、鎮守は富士浅間大菩薩。(リンク先より) << 戻る
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顕密寺-岡山県美作市

・顕密寺 真言宗御室派 岡山県美作市尾谷1111当寺は七十五代崇徳天皇之年1123年御代勝北群小吉野庄に紀州根来寺の覚鑁上人が十一面観音、五大力明王を造り精舎を建立されたことを発祥の地とする。(リンク先より) << 戻る
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安楽院-神奈川県小田原市

・安楽院 真言宗東寺派 神奈川県小田原市国府津1762【本尊】 大聖不動明王(ダイショウフドウミョウオウ) 【脇佛】 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師両部曼荼羅図像・八祖大師図像【開創】 天長10年(833年)6月15日(リンク先より) << 戻る
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仲福寺-三重県津市

・仲福寺 真言宗醍醐派 三重県津市大里窪田町2302弘仁三年二月上旬に、弘法大師が天照皇大神宮へご参詣の際、当寺の林の中が金色に光っていることに気付きました。そこへ立ち寄ってみると、大木の元に八枚からなる蓮花の上に十一面の尊像が現れ、弘法大師は大光普照観世音として礼拝し、その大木に十一面観音を彫刻し当寺のご本尊として日天八王子を御勧請なされました。(リンク先より)※弘仁三年 812年 << 戻る