便り 華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区 ・華厳寺(鈴虫寺) 臨済宗永源寺派 京都府京都市西京区松室地家町31秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。(リンク先より) << 戻る 1723.01.01 便り年表
便り 閑臥庵-京都府京都市北区 ・閑臥庵 黄檗宗 京都府京都市北区鞍馬口通寺町西入新御霊口町278「閑臥庵(かんがあん)」は山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺でございます。江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でございましたが王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりであります。(リンク先より) << 戻る 1671.01.01 便り年表
便り 萬福寺-京都府宇治市 ・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 善正寺-京都府木津川市 ・善正寺 真言宗御室派 京都府木津川市山城町上狛巽町10百済より奉納された釈迦如来像と経典が、山城の地の草室へ納められたとされます。これが、日本列島最古の寺院の一つとされる高麗寺の発祥と推定されます。欽明天皇崩御の後、即位した敏達天皇は高句麗と国交を開かれ、山城の地に伽藍境内を造立して高麗寺と名付けられたとされます。高句麗より渡来した氏族・狛氏がこの地に居住したことから、この地域は現在も上狛と称されていると考えられています。平安時代の天長4年(827年)頃に最盛期を迎えた高麗寺の境内は、大金堂、南大門、大講堂、八宗教院四季講堂、法華堂、常行堂、皇太子殿、祖師堂、勧学院論義堂、開山堂、五重塔など... 1648.01.01 便り年表
便り 光恩寺-京都府京都市下京区 ・光恩寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30親鸞聖人御染筆名号一幅、 覚如上人御染筆二幅を供奉し、京都に上京し、烏丸五条に居住し、法名を祐心と改め道場を仮説し、 寛永十年十二月光恩寺と寺号を公称し、是を光恩寺初代となし、累世相続し、現在に及ぶ(リンク先より)※寛永十年 1633年 << 戻る 1633.12.01 便り年表
便り 智源寺-京都府宮津市 ・智源寺 曹洞宗 京都府宮津市字京街道769寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のため建立し、心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗の寺院です。山号と寺号は、この松渓智源禅定尼より出ています。寛文元年(1661)、大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。(リンク先より) << 戻る 1625.01.01 便り年表
便り 龍岸寺-京都府京都市下京区 ・龍岸寺 浄土宗 京都府京都市下京区塩小路通大宮東入八条坊門町564寺史によれば龍岸寺は僧・三哲によって、元和2年(1616)に創建されたとされる。龍岸寺の山門前の通りは、いまは塩小路通と呼ばれるが、かつては三哲通だった。(リンク先より) << 戻る 1616.01.01 便り年表
便り 瑞泉寺-京都府京都市中京区 ・慈舟山 瑞泉寺 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市中京区木屋町通三条下る石屋町114慶長16年(1611年)。時の豪商角倉了以翁は運河として高瀬川を開削する工事をおこなっていました。その途中三条辺りにさしかかったとき、「塚」が荒廃している様子を発見。秀次公とそのご一族に以前から深く同情していた了以翁は、浄土宗西山派の僧「立空桂叔和尚」(後に瑞泉寺の開山上人)と計り、荒廃した墓域を整理すると共に、ご一族の菩提を弔う寺をその場所に建立することとしました。山号は、高瀬川を往来する船に因んで「慈舟山」。寺名は、京極誓願寺の中興教山上人が新たに秀次公に贈った法名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」からとって「瑞泉寺... 1611.01.01 便り年表
便り 称念寺-京都府京都市上京区 ・称念寺 浄土宗 京都府京都市上京区寺ノ内通浄福寺西入上る西熊町275嶽誉(がくよ)上人が陸奥国土浦城主松平信吉公の帰依をえて慶長11年(1606年)に建立されました。信吉公は元和6年(1620年)に没し、当寺に葬られています。信吉公と徳川家康公は義兄弟に当たり、当寺の寺紋は三ツ葵が許されました。三代目の住職の猫の恩返しでお寺が復興した伝説があります。(リンク先より) << 戻る 1606.01.01 便り年表
便り 大雄院-京都府京都市右京区 ・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る 1603.01.01 便り年表
便り 本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区 ・本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。 慶長7年(1602)京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進される。慶長8年(1603)上野国妙安寺みょうあんじ(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れ、同年阿弥陀堂建立。慶長9年(1604)御影堂を建立し、ここに新たな本願寺を創立した。これが当派の本山である「... 1602.01.01 便り年表
便り 圓光寺-京都府京都市左京区 ・圓光寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区一乗寺小谷町13慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。(リンク先より) << 戻る 1601.01.01 便り年表
便り 大蓮寺-京都府京都市左京区 ・大蓮寺 浄土宗 京都府京都市左京区西寺町二条下る正往寺町457名称 引接山 極楽院 大蓮寺(いんじょうざん ごくらくいん だいれんじ) 開基 慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦の年です 専蓮社深誉和尚により開山(リンク先より) << 戻る 1600.01.01 便り年表
便り 智積院-京都府京都市東山区 ・智積院 真言宗智山派 京都府京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え、最盛時には、2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院のなかの学頭寺院でした。 しかし、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を高野山に逃れ、苦心のすえ、... 1598.01.01 便り年表
便り 久昌寺-京都府福知山市 ・久昌寺 曹洞宗 京都府福知山市字寺町1文禄元年(1592年)久昌寺創建貞享2年(1685年)火災により、全焼する。元禄元年(1688年)二世南溪存越大和尚禅師代により再建する。禅師は雲岫廣覺禅師の勅賜号を賜う。(リンク先より) << 戻る 1592.01.01 便り年表
便り 法界寺-京都府京都市中京区 ・法界寺 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区裏寺町通蛸薬師上る裏寺町589当寺の創立年度は不詳となっておりますが、開基の道阿和尚が天正19年(1591)寂と記録にあります ので、おおよそ安土桃山時代中頃と推測されます。(リンク先より) << 戻る 1591.01.01 便り年表
便り 勝念寺-京都府京都市伏見区 ・勝念寺 浄土宗 京都府京都市伏見区石屋町521織田信長公が深く帰依した聖誉貞安上人によって天正15年(1587)に開創されました。天正10年織田信長は本能寺で、嫡男信忠は御池御所(烏丸二条)で自刃しました。正親町天皇の勅命により、信長・信忠父子の菩提を弔うため、貞安上人に信忠刃の地である御池御所を賜り、信忠の法名に因んで大雲院という寺院を開創しました。同時に、時の天下人である豊臣秀吉の城下町である此処伏見丹波橋に、布教の拠点とするべく一寺を開創して勝念寺と号しました。(リンク先より) << 戻る 1587.01.01 便り年表
便り 榮春寺-京都府京都市伏見区 ・榮春寺 曹洞宗 京都府京都市伏見区桃山町丹下30泰澄山榮春寺は元録十一年(1568)傳養和尚が開創された禅寺です。高祖道元禅師が、深草から越前へ赴かれた寛元元年(1243)から三百二十年後、伏見にはじめて建てられた曹洞宗寺院です。この地は小幡山の西北麓で、東南麓は道元禅師誕生の藤原家山荘のあった所である。また禅師の観音導利興聖宝林寺にも近い。(リンク先より) << 戻る 1568.01.01 便り年表
便り 蓮光寺-京都府京都市下京区 ・蓮光寺 浄土宗 京都府京都市下京区富小路通六条上る本塩竃町534明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。(リンク先より) また、境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に当山の住職、蓮光上人と親交があったといいま... 1492.01.01 便り年表
便り 本隆寺-京都府京都市上京区 ・本隆寺 法華宗(真門流) 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で京都西陣の地にあり、慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といいます。開祖日真大和尚(にちしんだいかしょう)は、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る 1488.01.01 便り年表
便り 蓮華寺-京都府京都市右京区 ・蓮華寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内20藤原康基は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移される。(リンク先より) << 戻る 1467.01.01 便り年表
便り 酬恩庵一休寺-京都府京田辺市 ・酬恩庵一休寺 臨済宗大徳寺派 京都府京田辺市薪里ノ内102元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩... 1455.01.01 便り年表
便り 本能寺-京都府京都市中京区 本能寺 法華宗(本門流) 京都府京都市中京区寺町通御池下る1415年 妙本寺の綱紀の粛清に努めていた日隆聖人が、その志を遂げられず妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間の地に寺門を開き本応寺と号した1582年 本能寺の変にて焼失。信長公自害(リンク先より) << 戻る 1415.01.01 便り年表
便り 荘厳寺-京都府京都市下京区 ・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る 1405.01.01 便り年表
便り 退蔵院-京都府京都市右京区 ・退蔵院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町35(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る 1404.01.01 便り年表
便り 昌運寺-京都府向日市 ・昌運寺 西山浄土宗 京都府向日市物集女町中条38当山は、応永3(1396)年、室町時代に中山道嘉和尚によって開山された西山浄土宗(本山:長岡京市 総本山 光明寺)末の寺院です。御本尊は阿弥陀如来ですが、脇佛に地蔵菩薩が安置されております。(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 雲龍院-京都府京都市東山区 ・雲龍院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。雲龍院は応安五年(一三七二)後光厳天皇の御建立にして、後、同所に後円融天皇、康応元年(一三八九)龍華殿を御建立せられ、御宸翰を下して妙法写経を始められる。両帝は屡々行幸になり開山竹厳聖皐上人に聞法受戒せらる。晏駕に先立ちて剃髪染衣せられ、上人の引導を受けて背後の山に埋葬し奉ったのである。(リンク先より) << 戻る 1372.01.01 便り年表
便り 宝鏡寺-京都府京都市上京区 ・宝鏡寺 単立 京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入百々町547宝鏡寺は、山号を「西山(せいざん)」と号し、百々御所(どどのごしょ)という御所号をもつ臨済宗単立の尼門跡寺院です。 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見浦で漁網にかかった際、小さな円鏡を手にしていたと伝えられ、大変珍しいお姿をしています。宝鏡寺の開山は景愛寺(けいあいじ)第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼です。 応安年間(1368~1375)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像が、禅尼によって景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置され、 本尊の由緒にちなんだ「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜り、名前を改めて... 1368.01.01 便り年表
便り 地蔵院-京都府京都市西京区 ・地蔵院(竹の寺) 単立(臨済宗) 京都府京都市西京区山田北ノ町23当山は衣笠山地蔵院といい、臨済禅宗の寺で、夢窓国師を開山とし、伝教大師の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。もともと、この地は今から八百年近く前、歌人衣笠内大臣藤原家良公が山荘を営まれた処で、南北朝時代の貞治六年(一三六七)室町管領細川頼之公が夢窓国師の高弟宗鏡禅師を招請して伽藍を建立された。これが現在の地蔵院で、宗鏡禅師は恩師夢窓国師を開山に仰ぎ、自らは第二世となられた。(リンク先より) << 戻る 1367.01.01 便り年表
便り 等持院-京都府京都市北区 ・等持院 臨済宗天龍寺派 京都府京都市北区等持院北町63暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る 1341.01.01 便り年表
便り 天龍寺-京都府京都市右京区 ・天龍寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。 この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、... 1339.01.01 便り年表
便り 南禅寺-京都府京都市左京区 ・南禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区南禅寺福地町正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。(リンク先より) << 戻る 1291.01.01 便り年表