スジャータ

仏教を本気で学ぶ

五観の偈(ごかんのげ)

ひとつには こうのたしょうをはかり、一には功の多少を計り、かのらいしょをはかる。彼の来処を量る。ふたつには おのれがとくぎょうの二には己が徳行のぜんけっとはかって くにおうず。全欠を忖って供に応ず。みつには しんをふせぎとがを三には心を防ぎ過をはなるることはとんとうをしゅうとす。離るることは貧等を宗とす。よつには まさにりょうやくをこととするは四には正に良薬を事とするはぎょうこをりょうぜんがためなり。形枯を療ぜんが為なり。いつつには じょうどうのためのゆえに五には成道の為の故にいまこのじきをうく今此の食を受く。これは五観の偈という食事に際して自分が反省すべき心得を箇条書にしたものです。禅宗寺院...
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ブッダガヤ – ブッダが悟りを開いた地(仏陀伽邪)

ブッダガヤはブッダが悟りを開いた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯には悟りを開いた場所であるブッダガヤの菩提樹(マハーボディー寺院・大菩提寺境内)、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)したネーランジャラー川(尼連禅河)、乳粥供養を受ける切っ掛けとなったスジャータ村のガジュマルなどの旧跡があります。また、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)はそこから北東約7kmほどという位置関係です。<< 戻る
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乳粥(ちちがゆ)

乳粥の作り方がインドマイトリの会の会報49号(2002年12月8日発行)に掲載されていましたので、許可を得てこちらでも紹介させていただきます。中道に気づき、苦行を放棄したブッダが、村娘スジャータから供養を受けたのがこの乳粥でした。体力を取り戻したブッダはその後、悟りを得ることになります。【材料】4人分新米のインディカ米(日本米でも可)200㌘牛乳1㍑・ギー(バターでも可)5㌘干しぶどう20㌘・カルダモンホール4粒ベイリーフ(ローリエ)3枚・砂糖200㌘【作り方】①米を洗って、水気を切っておく②鍋にギー(バター)を入れて、米を5分ほど炒める③牛乳、干しぶどう、カルダモン、ベイリーフを入れ、弱火で...
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成道会(じょうどうえ)

12月8日は仏教の開祖お釈迦様が悟りを開かれた日、つまり成道(じょうどう)の日です。釈迦族の王子であったお釈迦様の名はゴータマ・シッダッタといいました。何の不自由もない生活をしていましたが、人生の生老病死の苦しみに疑問を抱き妻子を残し出家をします。最初は真理を求めて有名な聖者について学びますが、納得がいく答えを得られませんでした。その後、ウルヴェーラの苦行林で6年間の苦行を続け、それでも真理を見いだせないので、極端な苦行では真理どころか、無駄に心や身体を傷つけるだけであると気づきました。そして、苦行を放棄し、さらなる真理へ到る方法を探すのでした。苦行していた場所から程近いネーランジャラー河で沐...
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チュンダの供養 – ブッダ最後の食事

チュンダの供養とは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子であるチュンダ(純陀)が、ブッダの説法を聞き、チュンダの屋敷で食事を振る舞ったが、それがブッダ最後の食事になりました。・最後に食べた「スーカラ・マッダヴァ」という料理について、豚肉料理やキノコ料理など諸説あり、はっきりしていませんがスーカラは「豚」で、マッダヴァは「柔らかい」という意味なので、豚肉料理か、豚が地面に鼻をこすりつけながら探しだすトリュフのようなキノコ料理とも考えられています。・古代インドでは、尊敬する人に敬意をしめす方法として、食事や香などを捧げる習慣を「供養」(プージャー)といいました。『大般涅槃経』によると、ブッダ...
人物

スジャータの乳粥供養 – ブッダが悟りを得たときの供養

(乳粥供養の場に建つスジャータ寺院がある祠には、スジャータと召使のプンナ、厳しい苦行を終えたばかりのお釈迦様の像が白い牛の像と一緒に祀られています)スジャータとは、ブッダが悟りを得たときの供養者として知られています。後にブッダとなるシッダッタの苦行放棄のきっかけとなり、悟りを得る直前の乳粥供養により身心ともに回復することになります。シッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日、祈りをささ...
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スジャータ村のガジュマル

後にブッダとなるシッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日、祈りをささげ、この日も同じように乳粥(ちちがゆ)を供えようとやって来ました。あまりにも厳しい苦行のために体力が衰えていたたシッダッタに乳粥を勧めますが、断食行をしていたシッダッタにいったんは断られました。しかし、先程聞いた農夫の声「絃は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い。」を...