仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

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和讃(わさん)

和讃とは、仏教歌謡・声明の一種で、仏・菩薩の功徳や仏法をたたえ、祖師・先人の徳、経典・教義などに対して和語を使ってほめたたえる讃歌です。サンスクリット語を使ってほめたたえる「梵讃」、漢語を使ってほめたえる「漢讃」に対して、和語を使うので「和讃」といいます。<< 戻る
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渡辺大剛(わたなべはるひさ)

冒険家、登山家。22歳292日で七大陸最高峰登頂を達成した。生誕 1981年(昭和56年)8月25日命日 2012年(平成24年)12月26日<< 戻る
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和田勉(わだべん)

演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。ドラマ「阿修羅のごとく」など多数。生誕 1930年(昭和5年)6月3日命日 2011年(平成23年)1月14日<< 戻る
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ブッダ最後の旅 – 大パリニッバーナ経

【 第1章 】1、鷲の峰にて1 私はこのように聞いた。ある時、尊師は王舎城の鷲の峰(霊鷲山)におられた。その時、マガダ国王アジャータシャトル(阿闍世)は、ヴァッジ族を征服しようと欲していた。彼はこのように告げた。「このヴァッジ族は、このように大いに繁栄し、このように大いに勢力があるけれども、私は彼らを征服しよう。ヴァッジ族を根絶しよう。ヴァッジ族を滅ぼそう。ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう」と。(2005年に管理人が撮影した鷲の峰/霊鷲山)2 そこでマガダ国王アジャータシャトルは、マガダ国の大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げて言った。「さあ、バラモンよ、尊師のいますところへ行け。...
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和達清夫(わだちきよお)

愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。生誕 1902年(明治35年)9月8日命日 1995年(平成7年)1月5日<< 戻る
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若山富三郎(わかやまとみさぶろう)

俳優・歌手・テレビドラマ監督。本名は奥村 勝。別名は城 健三朗。東京府東京市深川区出身。映画・テレビドラマ・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣に関しては当代随一の名手と評された。父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟に勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子。生誕 1929年9月1日命日 1992年4月2日照観院文寿日慧大居士<< 戻る
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和辻哲郎(わつじてつろう)

哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。生誕 1889年3月1日命日 1960年12月26日明徳院和風良哲居士<< 戻る
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和田英作(わだえいさく)

鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。生誕 1874年12月23日命日 1959年1月3日<< 戻る
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若山牧水(わかやまぼくすい)

戦前日本の歌人。代表作『別離』(1910年)デビュー作『海の声』(1908年)生誕 1885年(明治18年)8月24日命日 1928年(昭和3年)9月17日<< 戻る
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『正法眼蔵随聞記』2、我れは病者なり、非器なり

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『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

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『正法眼蔵随聞記』42、我れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時

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宏智正覚(わんししょうがく)

中国・宋時代の禅僧。隰州隰川県の出身。天童正覚(てんどうしょうがく)とも記述されます。丹霞子淳に就いて嗣法。弟子には自得慧暉がいる。多くの弟子を輩出したことから宏智派の祖とされています。臨済宗楊岐派のなかに大慧派を形成した大慧宗杲と、禅のあり方を巡り激しく対立しました。宏智正覚の主張は、仏性は本来的に有されていることから、坐禅すること自体が禅の姿で、その事実に気付くことこそが大事なことだと、公案を用いない曹洞宗の禅を擁護しました。しかし、大慧宗杲はこれを「黙照禅」と呼んで批判しました。対する大慧宗杲は、公案を用いることによって言語による思考を限界に追い詰めつつ坐禅し、言語を超越した悟りへと向か...
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和気清麻呂(わけ の きよまろ)

奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。769年(神護景雲3年)、和気清麻呂の姉である尼僧・和気広虫(わけ の ひろむし)は、称徳天皇から宇佐八幡宮の神託(神のお告げ)をいただいてくるよう命じられましたが、九州までの長旅は虚弱な身体では耐えられないだろうという理由で、弟である和気清麻呂が代わりに向かうことになりました。その神託の内容は、称徳天皇が寵愛していた「僧・道鏡を皇位につける」という内容でした。神託に従えば、神武天皇から続いてきた皇族による皇位継承が途絶えることにもなります。そもそも、称徳天皇は生涯独身で子どもがなく、孝謙上皇時代(第46代孝謙天皇と...
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商那和修(しょうなわしゅ)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で生まれる。阿難陀に就いて嗣法。弟子には優婆毱多がいる。生誕 命日 << 戻る
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ワッパ(婆敷)

ワッパ Vappa(巴) 婆敷(ばだいりか)、ヴァッパ、ヴァシュフ Vāspa(梵)、他の音写に婆沙波、婆湿渡、婆婆、愛波など、意訳に正語、気息、長気、禅気、涙出、起気などの記述があります。ワッパは、お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人です。ただし、仏典には同名別人と考えられる人物がいくつか存在し混同されやすいです。お釈迦様が出家したのを知り五比丘で同行した、もしくは、出家しネーランジャラー(尼連禅河)の畔の山中で苦行する際、スッドーダナ王(浄飯王)の要請で五比丘で随行したと伝えられています。6年間の苦行をしたお釈迦様でしたが、このままでは悟りを得ることが出来ないと知り、苦行林を出...