仏教を本気で学ぶ

三論宗(空宗)が伝わる

天武天皇2年(673年)に僧正となった中国(呉)出身の智蔵(恵灌の弟子)は元興寺で恵灌に三論を学んだ後に入唐し、恵灌の師であり三論宗の大成者でもある吉蔵に直接師事して伝えた三論宗は、法隆寺の空宗とも呼ばれます。三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)です。空を唱える事から、空宗ともいわれます。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もあります。中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成しました。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論です。<< 戻る
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倶舎宗が伝わる

元興寺禅院の開祖の道昭が661年に帰朝の際、倶舎論および注疏を招来したと考えられています。その後、倶舎宗という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間(749年~757年)の東大寺において大仏開眼供養にちなんで南都六宗の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説しています。奈良時代以後は元興寺(南寺)と興福寺(北寺)を中心とする法相宗の付宗として伝統が伝えられました。倶舎宗とは、世親の阿毘達磨倶舎論およびその注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちのグループです。毘曇宗、抑舎宗、倶舎衆、薩婆多(さっばた)宗などとも呼ばれます。<< 戻る
人物

鞍作鳥(くらつくりのとり)

鞍作鳥とは、7世紀初はじめごろ、飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師です。鞍作止利とも表記されます。渡来人で仏教をつたえたと言われる司馬達等(しばたっと)の孫で、止利仏師(とりぶっし)ともいわれ、聖徳太子に用いられました。その作風には北魏(ほくぎ・中国)の影響が見られます。代表作に法隆寺金堂の釈迦三尊像(623年)があります。<< 戻る
人物

鳩摩羅多(くもらた)

kumāralabdha。伽耶舎多に就いて嗣法。弟子には闍夜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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四大聖地(よんだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に問いました。「ブッダが亡くなったのちには、もう、ブッダにお会いすることはできないのでしょうか?」その問いにブッダが答えたのが四大聖地です。■ルンビニ(ブッダが生まれた地)藍毘尼■ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)仏陀伽邪■サールナート(ブッダが教えを説き始めた地)鹿野苑■クシナガラ(ブッダが亡くなった地)拘尸那掲羅これらの四つの場所が、信仰心ある者が実際に訪れて見て感動する場所であると、ブッダがアーナンダに伝えたのでした。(出典:『ブッダ最後の旅』【 第5章 】18、病い重し 8偈)<< 戻る
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八大聖地(はちだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に聞いたのが四大聖地ですが、仏教の開祖であるブッダに関する重要な8つの聖地の総称を八大聖地と呼びます。なお、ルンビニ、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地と呼ばれています。■ルンビニ  ブッダが生まれた地(生誕)藍毘尼■ブッダガヤ  ブッダが悟りを開いた地(成道)仏陀伽邪■サールナート  ブッダが教えを説き始めた地(初転法輪)鹿野苑■ラージギル  ブッダ布教の地 王舎城■サヘート・マヘート  ブッダ布教の地 祇園精舎・舎衛城■サンカーシャ  ブッダ三道宝階降下の地 僧伽舎■ヴァイシャリ  ブッダ最後の旅の出発地 毘舎離■クシナガラ  ブ...
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ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)

ウルヴェーラの苦行林は漢訳では前正覚山(ぜんしょうがくざん)といい、お釈迦様がブッダになる前のシッダッタと呼ばれていた時に修行を行った場所です。修行をするということは苦行を積むというのがインドでは一般的であったので、シッダッタも修行者が多く集まるガヤー(インド)に向かいました。シッダッタは、このウルヴェーラの苦行林に入り、6年間の苦行を続けました。断食の苦行、息を止める苦行、草だけを食べる苦行、牛糞を食べる苦行、イバラに身を横たえる苦行、ずっと立っている苦行、灼熱の太陽を凝視する苦行、墓地で死体と共に暮らす苦行、何が起きてもじっと耐えて坐禅する苦行など、普通では耐えられない苦行を繰り返したため...
人物

拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)

拘那含牟尼仏とは、釈迦牟尼仏以前にこの世に現れたと言われるブッダのことで、過去七仏の五番目に数えられるブッダです。・七仏通誡偈生誕 命日 << 戻る
人物

拘留孫仏(くるそんぶつ)

拘留孫仏とは、釈迦牟尼仏以前にこの世に現れたと言われるブッダのことで、過去七仏の四番目に数えられるブッダです。・七仏通誡偈生誕 命日 << 戻る