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植芝盛平(うえしばもりへい)

武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」と敬称される。生誕 1883年(明治16年)12月14日命日 1969年(昭和44年)4月26日合気院盛武円融大道士<< 戻る
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内村鑑三(うちむらかんぞう)

キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。生誕 万延2年2月13日(1861年3月26日)命日 昭和5年(1930年)3月28日<< 戻る
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上田敏(うえだびん)

評論家、詩人、翻訳家。文学博士。京都帝国大学文科大学教授。族籍は静岡県士族。「柳村」と号したため、上田柳村名義でも執筆活動を行った。代表作『海潮音』(1905年)、『うづまき』(1910年)生誕 1874年(明治7年)10月30日命日 1916年(大正5年)7月9日含章院敏誉柳邨居士(森鷗外の撰)<< 戻る
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歌川国芳(うたがわくによし)

江戸時代末期の浮世絵師。画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。『東都富士見三十六景』『宮本武蔵の巨鯨退治』『役者似顔絵六歌仙図』など多数。生誕 寛政9年11月15日(1798年1月1日)命日 文久元年3月5日(1861年4月14日)深修院法山信士<< 戻る
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歌川広重(うたがわひろしげ)

江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓・広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。 江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。代表作『東海道五十三次』『名所江戸百景』生誕 寛政9年(1797年)命日 安政5年9月6日(1858年10月12日)<< 戻る
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上杉鷹山(うえすぎようざん/治憲/はるのり)

江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。 領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。生誕 寛延4年7月20日(1751年9月9日)命日 文政5年3月11日(1822年4月2日)元徳院殿聖翁文心大居士<< 戻る
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上杉謙信(うえすぎけんしん/輝虎/てるとら)

戦国時代の越後国の大名。関東管領。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景の四男として生まれ、初名は長尾景虎。生誕 享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)命日 天正6年3月13日(1578年4月19日)不識院殿真光謙信<< 戻る
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「正法眼蔵」優曇華(うどんげ)

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「正法眼蔵」有時(うじ)

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運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる

1203年、運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる。<< 戻る
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雲居道膺(うんごどうよう)

中国唐代の禅僧。諡は弘覚大師。唐幽州の出身。翠微無学に参禅の後、雲巌曇晟に就いて嗣法。弟子には同安道丕がいる。雲居山龍昌禅院(真如禅寺)。雲居山に30年間住んでいた。生誕 835年命日 902年<< 戻る
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雲巌曇晟(うんがんどんじょう)

中国唐の時代の禅僧。鐘陵の出身。薬山惟儼に就いて嗣法。弟子には洞山良价がいる。生誕 780年命日 841年<< 戻る
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蘇我馬子(そがのうまこ)

蘇我馬子とは、飛鳥時代の豪族。敏達天皇の下で大臣に就き、以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年に渡り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築きました。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれました。敏達天皇元年(572年)敏達天皇の即位時に大臣となりました。敏達天皇13年(584年)百済から来た鹿深臣が石像一体、佐伯連が仏像一体を持っていたのを馬子がもらい受け、司馬達等と池邊氷田を派遣して修行者を探させたところ、播磨国(一説によると赤穂郡矢野庄)で高句麗人の恵便という還俗者を見つけ出したという。馬子はこれを師として、司馬達等の娘の嶋を得度させて尼とし善信尼となし、更に善信...
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厩戸王(聖徳太子)の誕生

574年、厩戸王(聖徳太子)の誕生。<< 戻る
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梁の武帝、盂蘭盆斎を設ける

梁の武帝の大同4年(538年)に帝自ら同泰寺で盂蘭盆斎を設けたことが、1269年に南宋の志磐が編纂した『仏祖統紀』に書かれています。
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『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)

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スッタニパータ【第2 小なる章】12、ヴァンギーサ

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スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】14、学生ウダヤの質問

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優婆毱多(うばきくた)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で毱多長者の子として生まれる。紀元前3世紀頃。商那和修に就いて嗣法。弟子には提多迦がいる。生誕 命日 << 戻る
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ヴィドゥーダバ(瑠璃王)

ヴィドゥーダバ Viḍūḍabha(巴)、瑠璃王(るりおう)、毘瑠璃王(びるりおう)、琉璃王(るりおう)、ヴィルーダカ Virūḍhaka(梵)ヴィドゥーダバの父はコーサラ国(拘薩羅国)のパセーナディ(波斯匿王)、母はマッリカー(末利夫人)で、お釈迦様が生きていた時代に釈迦族を殲滅させた王として知られています。釈迦族を殲滅させるまでの経緯として、パセーナディ王は釈迦族から妃を迎えたいと要請しました。断わった場合、釈迦族を攻めるつもりだったといわれます。釈迦族は他の民族とは婚姻しないという伝統があったともいわれ、その血筋の誇り高さから一計を案じ、釈迦族の王族で大臣の一人と言われるマハーナーマが召...
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ヴァンギーサ(婆耆舎、婆耆沙)

ブッダの弟子の一人で「弁舌第一」といわれています。・「ヴァンギーサ長老は座から起ち上がって、衣を一つの肩にかけ右肩をあらわして、師(ブッダ)のおられる方に合掌して、師に告げて言った、「ふと思い出すことがあります!幸せな方よ」と。「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。そこでヴァンギーサ長老は師の面前で、相応しい詩を以て師をほめ称えた。451 自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである。452 好ましい言葉のみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられる言葉である。感じの悪い言葉を避けて、他人の気に入る言葉のみを語るのである。453 真実は実に不滅の...
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ワッパ(婆敷)

ワッパ Vappa(巴) 婆敷(ばだいりか)、ヴァッパ、ヴァシュフ Vāspa(梵)、他の音写に婆沙波、婆湿渡、婆婆、愛波など、意訳に正語、気息、長気、禅気、涙出、起気などの記述があります。ワッパは、お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人です。ただし、仏典には同名別人と考えられる人物がいくつか存在し混同されやすいです。お釈迦様が出家したのを知り五比丘で同行した、もしくは、出家しネーランジャラー(尼連禅河)の畔の山中で苦行する際、スッドーダナ王(浄飯王)の要請で五比丘で随行したと伝えられています。6年間の苦行をしたお釈迦様でしたが、このままでは悟りを得ることが出来ないと知り、苦行林を出...
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ヴィマラ(毘摩羅)

ヴィマラ Vimala(梵)・(巴) 毘摩羅(びまら)、意訳で離垢とも記述されます。ヴィマラは、バラナシ(ベナレス)出身のお釈迦様の弟子です。五比丘の初転法輪に次いでお釈迦様の6番目の弟子となったヤシャス(耶舎)の4人の親友の一人で、ヤシャスの出家を聞き他の3人(ガバンパティー(憍梵波提)、スバーフ(蘇婆呼)、プンナジ(富蘭那迦))と共に出家しました。<< 戻る
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ウパーリ(優波離)

ウパーリ(upaali、उपालि) 優波離(うばり)ブッダの十大弟子の一人で「持律第一」といわれています。ウパーリはインドのカースト制度の中でも下層であるスードラの出身で、カピラヴァストゥ城、釈迦族を担当する理髪師をしていました。ブッダがカピラヴァストゥ城に帰国し、スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)、ラーフラ(羅睺羅/密行第一)が弟子となった後、アニルッダ(阿那律・あなりつ)、跋提梨迦(五比丘の一人とは別人)、金毘羅、婆咎、アーナンダ(阿難陀)、デーヴァダッタ(提婆達多)の6人の諸王子がブッダの弟子となるらしいとの話を聞き、ウパーリはアニルッダに従いアヌピヤー村に向かいます。...
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八大聖地(はちだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に聞いたのが四大聖地ですが、仏教の開祖であるブッダに関する重要な8つの聖地の総称を八大聖地と呼びます。なお、ルンビニ、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地と呼ばれています。■ルンビニ  ブッダが生まれた地(生誕)藍毘尼■ブッダガヤ  ブッダが悟りを開いた地(成道)仏陀伽邪■サールナート  ブッダが教えを説き始めた地(初転法輪)鹿野苑■ラージギル  ブッダ布教の地 王舎城■サヘート・マヘート  ブッダ布教の地 祇園精舎・舎衛城■サンカーシャ  ブッダ三道宝階降下の地 僧伽舎■ヴァイシャリ  ブッダ最後の旅の出発地 毘舎離■クシナガラ  ブ...
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ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)

ウルヴェーラの苦行林は漢訳では前正覚山(ぜんしょうがくざん)といい、お釈迦様がブッダになる前のシッダッタと呼ばれていた時に修行を行った場所です。修行をするということは苦行を積むというのがインドでは一般的であったので、シッダッタも修行者が多く集まるガヤー(インド)に向かいました。シッダッタは、このウルヴェーラの苦行林に入り、6年間の苦行を続けました。断食の苦行、息を止める苦行、草だけを食べる苦行、牛糞を食べる苦行、イバラに身を横たえる苦行、ずっと立っている苦行、灼熱の太陽を凝視する苦行、墓地で死体と共に暮らす苦行、何が起きてもじっと耐えて坐禅する苦行など、普通では耐えられない苦行を繰り返したため...