年表

人物

菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)

お釈迦さまから28代目の祖師である菩提達磨大師は、西インドから中国に至り、大乗仏教をもたらしたインド人僧侶です。震旦初祖、円覚大師とも呼ばれ、達摩と表記される場合もあります。般若多羅尊者に就いて嗣法。弟子には慧可、道育、尼総持、道副がいます。達磨大師の伝記に関しては諸説ありますが、禅宗の伝統的な見解では、中国の梁の時代・普通8(527)年に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都・建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、洛陽(河南省)郊外の嵩山少林寺というところで面壁九年の坐禅を修行され、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の宗旨を標榜し、禅宗の初祖と仰が...
仏教を本気で学ぶ

『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)

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仏教を本気で学ぶ

ナーランダ/ナーランダ大学

ナーランダ大学とは、427年に建てられた世界最古の大学であったと考えられており、インド仏教の最重要拠点であった僧院です。5世紀初頭のインド、グプタ王朝のクマーラグプタ1世(シャークラ・ディティヤ王)が創建しました。ナーランダは「蓮のある場所」「知識の提供者」という意味です。それから12世紀ごろまで栄え、数千人の僧侶が学んでいたと伝えられ、多い時には1万人の学僧が集まったという記述もあります。現在はその一部が発掘、整備され公園になっています。また、ラージギル(王舎城)まで15km、ブッダガヤまで82kmほどという位置関係です。下の写真は、この地方出身と伝えられるブッダ十大弟子の1人であるサーリプ...
年表

倭王讃(仁徳天皇?)が、宋に使者を送る

421年、倭王讃(仁徳天皇?)が、宋に使者を送る。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『梵網経』(ぼんもうきょう)

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年表

大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦う

391年、大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける。このころ、朝鮮からの渡来人が多く、百済から織物・彫刻・陶芸などの技術が伝わる。<< 戻る
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敦煌莫高窟

敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)は、敦煌の町の南東方約20kmに4世紀中ごろから13世紀にかけて造営された仏教遺跡です。甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で甘粛省にある敦煌石窟の代表でもあり、中国佛教の有名な3大石窟の一つです。730余の石窟があり,塑造仏(そぞうぶつ)・壁画などの仏教美術遺品のほか、無数の古写経典や古文書類が発見されています。東西文化交流史上、また中国仏教史上にも重要な存在です。<< 戻る
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青岸渡寺 開基

開基は仁徳天皇の時代(350年~450年の間頃)、印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝において修行を積みその暁に滝壷で八寸の金製の如意輪観音を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。 << 戻る
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補陀洛山寺 開基

開基は仁徳天皇の時代(350年~450年の間頃)、インドから漂着した裸形上人が開いた。 << 戻る
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大和朝廷が国内をほぼ統一する

350年、このころ、大和朝廷が国内をほぼ統一する。大和朝廷は、大王(おおきみ・・・のちの天皇)を中心とした豪族の連合政権。氏と姓にもとづく政治→氏姓制度<< 戻る
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古墳文化

350年前後、各地に古墳がつくられる(前方後円墳・円墳・方墳)。大阪府堺市の仁徳陵古墳(大山古墳)は日本最大。前方後円墳は日本独特の形。埴輪。<< 戻る
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朝鮮に高句麗・百済・新羅の三国が成立

350年、朝鮮に高句麗・百済・新羅の三国が成立。<< 戻る
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『般若心経』(はんにゃしんぎょう)

『般若心経』は、正式には『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』といい、さらに略して『心経(しんぎょう)』と呼ばれることもあります。サンスクリット語では、प्रज्ञापारमिताहृदय(Prajna-paramita-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)で、現在一般的に広まっているのは玄奘三蔵が漢訳した『般若心経』(掲載のもの)です。成立年代や成立場所がはっきりしていないものの紀元後300年から400年の間にインド文化圏で成立したと考えられています。なお、現存するテキストで最古のものは、鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『摩訶般若波羅蜜大明呪経』一巻で、402...
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『正法華経』

286年、『法華経』の梵語(サンスクリット語)を竺法護(中国・西晋時代の西域僧)が『正法華経』10巻26品に漢訳する。<< 戻る
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晋が中国を統一

280年、晋が中国を統一(~316)。<< 戻る
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龍樹(ナーガールジュナ)

南インド出身の仏教僧。バラモンの家系に生まれましたが出家して仏教僧となりました。梵語(サンスクリット語)で नागार्जुन、Nāgārjuna、ナーガールジュナといい、漢訳名では、音写で那伽閼刺樹那(なぎゃはらじゅな)、意訳で龍樹(りゅうじゅ)、龍勝(りゅうしょう)、龍猛(りゅうみょう)。著作とされるものに『中論』『十二問論』『大智度論』『十住毘婆沙論』等。竜樹。特に『中論』において確立された空の思想は、以後、全ての大乗仏教思想に最大の影響を与え、その学派は後世、中観派(ちゅうがんは)と呼ばれるようになりました。伝承的な部分が多く、龍樹が書いたという書物も多いですが、古来から現代までの研究...
年表

邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを送る

239年、邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを送る。邪馬台国は30余国を支配。<< 戻る
年表

後漢滅亡、魏・呉・蜀の三国分立

220年、後漢滅亡、魏・呉・蜀の三国分立。<< 戻る
便り

大悲王院-福岡県糸島市

・大悲王院 真言宗大覚寺派 福岡県糸島市雷山626当山は、成務天皇四十八年(一七八年)、雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来して、天竺霊鷲山の僧、清賀上人の開創と伝えられております。その後聖武天皇によって勅願道場となり、七堂伽藍が建立されました。(リンク先より) << 戻る
年表

このころ倭の国に大乱が起こる

150年、このころ倭の国に大乱が起こる。<< 戻る
年表

ローマ帝国の全盛時代

150年、このころローマ帝国の全盛時代。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

経典翻訳『四諦経』『八正道経』

147年(中国)(後漢 建和元年)、安世高が洛陽にて経典翻訳『四諦経』『八正道経』等。<< 戻る
人物

カニシカ王 – 仏教を保護

カニシカ王とは、中央アジアからガンジス川流域を支配し、仏教を保護したクシャーナ朝の中で最も名の知られた王です。漢訳仏典では音写して迦膩色迦などと表記されます。在位は144年頃~171年頃と考えられています。この時代にガンダーラ美術がおこりました。カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されています。その伝説によれば、カシミール地方にシンハという王がいて、仏教に帰依してスダルシャナと称して出家し、カシミールで法を説いていました。カニシカ王は彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったといいます。各地に仏塔を建造したことが知られているほか、仏典の第四回結集(第三回とも)が...
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倭の国から後漢に使者を送り、交わりを始める

107年、倭の国から後漢に使者を送り、交わりを始める。<< 戻る
年表

蔡倫、紙を発明

105年、蔡倫、紙を発明。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

中国への仏教伝来

67年(中国)(後漢 永平10年)、中国への仏教伝来。明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話より。(諸説あり)<< 戻る
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奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける

57年、奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『法華経』(ほけきょう)

法華経とは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)のことです。もともとの梵語(サンスクリット語)では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Pundarīka Sutra, 正しい教えである白蓮花の経典)であり、鳩摩羅什訳で「妙法蓮華経」となりました。「法華経」は「妙法蓮華経」の略称です。日本に仏教が538年か552年に伝来し、聖徳太子の法華経の注釈書「法華義疏」は615年に著されたので、日本では早い段階から重要な位置にあったはずです。中国では286年に竺法護が『正法華経』として漢訳しています。法華経はサンスクリット語の写本...
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キリストが処刑される

30年、キリストが処刑される。<< 戻る
年表

劉秀が後漢を建国

25年、劉秀が後漢を建国、洛陽に都をおく(~220)。<< 戻る
年表

前漢滅亡、王莽が新を建国

8年、前漢滅亡、王莽が新を建国(~23)。<< 戻る
年表

イエス・キリスト生まれる

紀元前4年頃、イエス・キリスト生まれる。<< 戻る