buddhism

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馬鳴(めみょう)

馬鳴はアシュヴァゴーシャの漢訳名です。インドの仏教僧。富那夜奢に就いて嗣法。弟子には迦毘摩羅がいる。バラモンの家系に生まれ、学僧として活躍し議論を好んだ。当初は仏教を非難していましたが、富那夜奢に論破され、舌を切って謝罪しようとしましたが、諭されて仏教に帰依するようになりました。知恵・弁舌の才にすぐれ、釈迦の生涯を描いた叙事詩『ブッダチャリタ(Buddhacarita/仏所行讚)』や、スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀/お釈迦様の異母兄弟)の回心を描いた詩『端正なる難陀』(サウンダラナンダ)、舎利弗と目連の帰依を描いた9幕の戯曲『シャーリプトラ・プラカラナ』、『大荘厳論経』などを残しています。その他...
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富那夜奢(ふなやしゃ)

インドの仏教僧。婆栗湿縛に就いて嗣法。弟子には馬鳴がいる。生誕 命日 << 戻る
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婆栗湿縛(ばりしば)

インドの仏教僧。伏駄蜜多に就いて嗣法。弟子には富那夜奢がいる。生誕 命日 << 戻る
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仏陀難提(ぶつだなんだい)

インドの仏教僧。婆須蜜多に就いて嗣法。弟子には伏駄蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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伏駄蜜多(ふだみった)

インドの仏教僧。仏陀難提に就いて嗣法。弟子には婆栗湿縛がいる。生誕 命日 << 戻る
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婆須蜜多(ばしゅみった)

インドの仏教僧。弥遮迦に就いて嗣法。弟子には仏陀難提がいる。生誕 命日 << 戻る
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弥遮迦(みしゃか)

インドの仏教僧。提多迦に就いて嗣法。弟子には婆須蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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提多迦(だいたか)

インドの仏教僧。優婆毱多に就いて嗣法。弟子には弥遮迦がいる。生誕 命日 << 戻る
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優婆毱多(うばきくた)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で毱多長者の子として生まれる。紀元前3世紀頃。商那和修に就いて嗣法。弟子には提多迦がいる。生誕 命日 << 戻る
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商那和修(しょうなわしゅ)

インドの仏教僧。マトゥラー(摩突羅国)で生まれる。阿難陀に就いて嗣法。弟子には優婆毱多がいる。生誕 命日 << 戻る
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このころ倭の国に大乱が起こる

150年、このころ倭の国に大乱が起こる。<< 戻る
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ローマ帝国の全盛時代

150年、このころローマ帝国の全盛時代。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

経典翻訳『四諦経』『八正道経』

147年(中国)(後漢 建和元年)、安世高が洛陽にて経典翻訳『四諦経』『八正道経』等。<< 戻る
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カニシカ王 – 仏教を保護

カニシカ王とは、中央アジアからガンジス川流域を支配し、仏教を保護したクシャーナ朝の中で最も名の知られた王です。漢訳仏典では音写して迦膩色迦などと表記されます。在位は144年頃~171年頃と考えられています。この時代にガンダーラ美術がおこりました。カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されています。その伝説によれば、カシミール地方にシンハという王がいて、仏教に帰依してスダルシャナと称して出家し、カシミールで法を説いていました。カニシカ王は彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったといいます。各地に仏塔を建造したことが知られているほか、仏典の第四回結集(第三回とも)が...
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倭の国から後漢に使者を送り、交わりを始める

107年、倭の国から後漢に使者を送り、交わりを始める。<< 戻る
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蔡倫、紙を発明

105年、蔡倫、紙を発明。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

中国への仏教伝来

67年(中国)(後漢 永平10年)、中国への仏教伝来。明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話より。(諸説あり)<< 戻る
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奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける

57年、奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『法華経』(ほけきょう)

法華経とは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)のことです。もともとの梵語(サンスクリット語)では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Pundarīka Sutra, 正しい教えである白蓮花の経典)であり、鳩摩羅什訳で「妙法蓮華経」となりました。「法華経」は「妙法蓮華経」の略称です。日本に仏教が538年か552年に伝来し、聖徳太子の法華経の注釈書「法華義疏」は615年に著されたので、日本では早い段階から重要な位置にあったはずです。中国では286年に竺法護が『正法華経』として漢訳しています。法華経はサンスクリット語の写本...
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キリストが処刑される

30年、キリストが処刑される。<< 戻る
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劉秀が後漢を建国

25年、劉秀が後漢を建国、洛陽に都をおく(~220)。<< 戻る
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前漢滅亡、王莽が新を建国

8年、前漢滅亡、王莽が新を建国(~23)。<< 戻る
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イエス・キリスト生まれる

紀元前4年頃、イエス・キリスト生まれる。<< 戻る
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司馬遷『史記』

紀元前97年、司馬遷の『史記』なる。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

大衆部枝末分裂/上座部枝末分裂

紀元前160年頃、大衆部枝末分裂。上座部枝末分裂。説一切有部、経量部等成立。アビダルマ仏教。論蔵の成立。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

ミリンダ王の問い

紀元前2世紀後半にアフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世(ミリンダ王/弥蘭王/弥蘭陀王)とインド仏教の長老であるナーガセーナ(那先/那伽犀那/龍軍)との間で紀元前160年頃に3日間行われた問答で、王は最後には仏教信者になる。パーリ語経典の『ミリンダ王の問い』、漢語経典の『那先比丘経』として伝えられている。初日はミリンダ王がナーガセーナを訪ね、2日目と3日目はナーガセーナが王宮を訪ね問答を行う。初日の問答の始まりはこんな感じです。あなたの名前を教えてください王よ、私はナーガセーナと世間に呼ばれているけど、それはあくまでも呼称・記号・通念・名称で...
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前漢、成立

紀元前202年、前漢、成立。<< 戻る
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秦が中国を統一

紀元前221年、秦が中国を統一。<< 戻る
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始皇帝が即位

紀元前247年、始皇帝が即位(~210)。<< 戻る
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アショーカ王がルンビニを訪れる

紀元前249年にブッダの生誕地ルンビニをマウリヤ王朝のアショーカ王が訪れる。ルンビニで発見されたアショーカピラー(石柱)に記される。<< 戻る
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第三結集(だいさんけつじゅう)- アショーカ王の呼びかけ

(アショーカピラー/インド・ビハール州クムラハール)紀元前260年(インド)第三結集がマウリヤ王朝の都パータリプトラ(パトナ市)の郊外にある鶏園寺(クムラハール)において、マウリヤ王朝3代目アショーカ王の呼びかけで阿羅漢1000人が集まり経・律・論がまとめられる。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から235年後頃に行われた(上座部の伝承)。なお、紀元前244年開催説もある。<< 戻る
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アショーカ王即位

(アショーカ王レリーフ/より)紀元前268年(インド)、アショーカ王(阿育王)が即位し、治世9年目にインド亜大陸の東岸で勢力を振るったカリンガ国に戦を仕掛け征服するが、戦争の悲惨さを実感し仏教に帰依。アショーカ王が石柱や摩崖(岩)などに刻ませたアショーカ王碑文が多く残る。在位~紀元前232年頃の間、仏教がインド全体に普及。原始仏教聖典原型成立。『阿含経』『法句経』『ジャータカ』等。<< 戻る