buddhism

年表

関東管領をおく

1349年、関東管領をおき、足利基氏をこれに任じる。<< 戻る
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倭寇が中国の沿岸を荒らす

1349年、このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす。<< 戻る
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正法寺-岩手県奥州市水沢区

・正法寺 曹洞宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字正法寺129大梅拈華山圓通正法寺は、南北朝時代の貞和4年(1348)、無底良韶禪師によって開かれました。無底禪師は能登国の出身で、大本山總持寺二祖峨山韶碩禪師の高弟でした。峨山禪師には25人の優れた弟子(峨山禪師二十五哲)がおりましたが、無底禪師はその第一番に列せられています。無底禪師発心前の19歳の時、熊野本宮大社(和歌山県)に参篭したところ、「もし出家修行するならば佛法純熟せん」との夢告があり、霊石一箇を授けられたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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栖雲寺-山梨県甲州市

・栖雲寺 臨済宗建長寺派 山梨県甲州市大和町木賊122臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。南北朝時代の貞和4年(1348年)業海本浄を開山として創建されました。開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-青森県つがる市

・弘法寺 高野山真言宗 青森県つがる市木造吹原字屏風山1-244開創などは、一時天災により寺が消失しており記録が残されていないため不明である。唯一現存する7代目住職の位牌が、貞和4年(1347年)7月6日の年号があることから開創から900年ほどの歴史があると思われる。(リンク先より) << 戻る
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正定寺-奈良県宇陀市

・正定寺 浄土真宗本願寺派 奈良県宇陀市室生区向渕8531347年(貞和4)存覚上人が、向渕を通られた際、馬場の長者の懇願により逗留され、翌年1月正定寺を開基された。1370年(応安3)には「源空(法然)聖人・親鸞聖人連座像」が下付される。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-岐阜県加茂郡

・善教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県加茂郡川辺町比久見344-1住職はまだまだ未熟ですが、温かいご門徒さんたちに支えられながら、心安らぐお寺、人の悩みに応えられるお寺を目指しております。地域に開かれた催しも行っていきますので、お気軽にお参りください。 創建正平2年(1347)、改宗(天台から真宗へ)慶長2年(1597)、現本堂慶應2年(1866)建立 << 戻る
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虎関師錬(こかんしれん)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。玄恵の兄弟とする説もある。京都の出身。諡号は本覚国師。漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。著作に『元亨釈書』の他、『楞伽経』の注釈『仏語心論』、詩文集『済北集』、語録『十禅支録』、日本最初の韻書『聚分韻略』などがある。生誕 弘安元年4月16日(1278年5月9日)命日 興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日)<< 戻る
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掲諦寺-大分県速見郡

・掲諦寺 臨済宗妙心寺派 大分県速見郡日出町大字豊岡3460室町時代初頭の1346年に建立され、ご本尊さまは、『オン コロコロ センダリマトウギソワカ』の御真言で有名な薬師瑠璃光如来(お薬師さん)であります。羯諦寺の開山さまは、豊後国太田村出身の南溟殊鵬和尚です。南溟殊鵬和尚は 天皇陛下から諡として佛照大光禅師を頂いております。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『親鸞伝絵』(康永本)成る

1343(康永二)年11月、『親鸞伝絵』(康永本)成る。<< 戻る
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等持院-京都府京都市北区

・等持院 臨済宗天龍寺派 京都府京都市北区等持院北町63暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る
年表

天竜寺船を元に送る

1341年、天竜寺船を元に送る。<< 戻る
人物

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

第96代天皇および南朝初代天皇。諱は尊治。大覚寺統の天皇。京都で2度の討幕(正中の変、元弘の変)を企てた後醍醐天皇は、正慶元年(1332)鎌倉幕府に隠岐に流されました。しかし、楠木正成や後醍醐天皇の子、護良親王らによる討幕運動が続くと、後醍醐天皇は隠岐を脱出し、討幕を呼びかけます。足利尊氏、新田義貞らが正慶2年(1333)に鎌倉幕府を滅ぼすと、後醍醐天皇は帰京し、幕府・摂関を廃して天皇による親政「建武の新政」を開始します。しかし親政は破綻し、後ろ盾となっていた足利尊氏の離反に遭ったため、後醍醐天皇は比叡山に2度逃れますが、ついに京で幽閉されてしまいます。建武2年(1336)、尊氏は持明院統の光...
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天龍寺-京都府京都市右京区

・天龍寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。 この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、...
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頼久寺-岡山県高梁市

・頼久寺 臨済宗永源寺派 岡山県高梁市頼久寺町18草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-岐阜県山県市

・洞泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県山県市高富688延元四年(一三三九)、南朝の後醍醐天皇朝臣杉山義祐が根尾城にて戦死した。(リンク先より) << 戻る
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福性寺-東京都北区

・福性寺公式ホームページ 真言宗豊山派 東京都北区堀船3-10-16豊嶋八十八ヶ所霊場第五十七番です。福性寺の開基は不明です。しかし、最も古いお墓は暦応2年(西暦1339年)、後醍醐天皇の亡くなった年のお墓です。すでに庶民のお寺として七百年の歴史があります。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-群馬県利根郡

・吉祥寺 臨済宗建長寺派 群馬県利根郡川場村大字門前860-1吉祥寺創建は南北朝時代の暦応二年(1339)中巌円月禅師を開山和尚とし大友氏時により創建されました。建長寺派四百有余かヶ寺の寺院の中で一番北域に位置することから、建長寺北の門とも呼ばれています。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

天龍寺派(本山天龍寺(京都))の開派

南朝 : 延元4・北朝 : 暦応2(1339)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗天龍寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

新田義貞(にったよしさだ)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。姓名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。元弘3年(1333)3月、後醍醐天皇の綸旨(蔵人が天皇の命を受けて発給した文書)を受けた義貞は、幕府が派遣した楠木正成追討軍を密かに抜け出て帰国しました。義貞は、幕府徴税使を斬って討幕の決意を固め、5月8日、生品明神(新田町市野井)の社前に討幕の兵を挙げ、鎌倉攻めを開始しました。義貞軍は、小手指原(埼玉県所沢市)・久米川(東京都東村山市)・分倍河原(東京都府中市)での戦いを経て、同月18日、兵を巨福呂坂・化粧坂・極楽寺坂の三手に分けて鎌倉市中攻撃を始めましたが、幕府の守りも固く、攻防一進一退を繰り返す中...
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圓光寺-山梨県山梨市

・圓光寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市牧丘町杣口1092開創は暦應年中(1338年頃)。当山は、七朝帝師夢窓疎石によって開創される。開基は足利尊氏。本尊は十一面観世音菩薩、鎮守は富士浅間大菩薩。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-埼玉県比企郡

・円通寺 真言宗霊雲寺派 埼玉県比企郡川島町畑中764-11338年(暦応元年)の板碑もありますが、創立年代は現在も明らかではありません。1699年(元禄12年)には、第一世 正圓智道和尚が本尊 馬頭観世音菩薩および本堂を中興しました。(リンク先より) << 戻る
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瑞泉院-栃木県足利市

・瑞泉院 曹洞宗 栃木県足利市五十部町156開基 延元3年(1338年)680年の歴史がございます。本堂の他、観音堂(西国三十三尊観世音菩薩)(リンク先より) << 戻る
年表

足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ室町幕府を開く

1338年、足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

妙心寺派(本山妙心寺(京都))の開派

南朝:延元2・北朝:建武4(1337)年、関山恵玄禅師により始まる。末寺3400ケ寺を持つ臨済宗最大の宗派。臨済宗妙心寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

楠木正成(くすのきまさしげ)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。 元弘の乱で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らと共に天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家と共に南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄...
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常福寺-茨城県那珂市

・常福寺 浄土宗 茨城県那珂市瓜連1222南北朝時代の延元年中(1336~1339)に了実上人によって開山。その後第二世了誉上人の嘉慶2年(1388)の僧坊が焼失したため瓜連城址に移転し、応永12年(1405)に再建された。その背景には佐竹氏の援助があった。(リンク先より) << 戻る
年表

南北朝の対立

1336年、南北朝の対立。南朝・・・後醍醐天皇は吉野にのがれ、そこで政治を続けようとした。北朝・・・京都に入った足利尊氏は、新しい天皇をむかえた。<< 戻る
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福聚寺-神奈川県横浜市保土ヶ谷区

・福聚寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩井町56建武2年(1335年)南北朝時代初期に創建されました。寛政年間までは現在の横浜市西区久保町にありましたが、隠居寺であった蓮求庵(現在の地)に移転し、(明治21年本堂落慶)現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
年表

足利尊氏が挙兵

1335年、足利尊氏が挙兵。<< 戻る
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慶昌寺-岩手県北上市

・慶昌寺 曹洞宗 岩手県北上市和賀町煤孫18-208鎌倉時代後期の建武年間(1334~1336)の頃、鎌倉にある建長寺の法幢山泰嶺(ほうどうたいれい)大和尚が退院(隠居)したのち、全国を行脚しながらこの地にやってきました。泰嶺大和尚は和賀氏の本城だった二子(ふたご)城(別名・飛勢(とばせ)城を訪ねました。やがて泰嶺大和尚は流俗を嫌って、この地に留まることを決め、煤孫の長出の庄(現在地付近)に小庵を結びました。泰嶺大和尚は(法幢庵)と号して住まいしたといいます。(リンク先より) << 戻る
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正本寺-愛知県稲沢市

・正本寺 真宗大谷派 愛知県稲沢市奥田町中切前44571334年(建武元年)に天台宗の寺院として開寺された正本寺(しょうほんじ)は、室町後期に蓮如上人の教化を受け、三河松平藩の流れで浄土真宗に転派いたしました。(リンク先より) << 戻る