buddhism

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吉祥寺-静岡県静岡市駿河区

・吉祥寺 曹洞宗 静岡県静岡市駿河区中田本町26-8慶長10年(1605)に千手観世音菩薩尊を御本尊として沓谷長源院第七世在川見昨大和尚により開山されました。大和尚は、夢枕に毘沙門天を見られ、そのお姿を自ら彫刻されました。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が将軍職を秀忠にゆずる

1605年、徳川家康が、将軍職を秀忠にゆずる。<< 戻る
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大龍寺-福島県西白河郡

・大龍寺 曹洞宗 福島県西白河郡西郷村大字羽太字狸屋敷164安良勘解由使という当時の有力者の寄進を受けて、覚法という僧によって開かれた長福寺(宗派不明)が、白河市表郷番沢の峰全院八世榮室宗悦(えいしつそうえつ)禅師(慶長9年5月25日示寂)によって曹洞宗大龍寺として現在の地に再興されたと伝えられています。開創の時期は、古い記録が火災で焼失してわかっていませんが、推定で830年以上の歴史があります。(リンク先より)※慶長9年 1604年 << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。<< 戻る
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正蓮寺-静岡県伊豆の国市

・正蓮寺 真宗大谷派 静岡県伊豆の国市南江間930法栄山正蓮寺は、1603年開山より400年間法灯を繋ぎ、宗祖親鸞聖人が感動された念仏のみ教えを、現代の世情に合った形で伝えていく寺院です。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮寺-福岡県行橋市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 福岡県行橋市大橋2-4-6慶長 8年(1603) 小倉城下町縄張りにて浄蓮寺本堂建立、浄喜寺二世(村上壱岐守)良祐を開基とする。慶長10年(1608) 本願寺より亀谷山浄蓮寺の寺号下る。(リンク先より) << 戻る
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大雄院-京都府京都市右京区

・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る
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興禅寺-埼玉県三郷市

・興禅寺 曹洞宗 埼玉県三郷市幸房1071慶長8年(西暦1603年)、現在の千葉県松戸市中金杉の廣德寺9世 快笑梵せき大和尚により開かれました。開基は江戸京橋竹町(屋号)長門屋の当主である楢崎庄兵衛氏。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く

1603年、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。<< 戻る
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出雲の阿国が歌舞伎踊りを始める

1603年、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

興聖寺派(本山興聖寺(京都))の開派

慶長8(1603)年、虚応円耳禅師により始まる。臨済宗興聖寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。<< 戻る
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小早川秀秋(こばやかわひであき)

安土桃山時代の大名。丹波国亀山城主、筑前国名島城主を経て備前国岡山城主。名は関ヶ原の戦いの後に秀詮と改名した。 豊臣秀吉の正室・高台院の甥。秀吉の親族として豊臣家では重きをなし、小早川隆景と養子縁組した後には、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った。生誕 天正10年(1582年)命日 慶長7年10月18日(1602年12月1日)瑞雲院秀巌日詮<< 戻る
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圓應寺-福岡県福岡市中央区

・圓應寺 浄土宗 福岡県福岡市中央区大手門3-1-71602年4月(慶長7年)4月、福岡藩の始祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)公の夫人、照福院殿(光姫)君が初めて寺院を開基し、黒田如水の本尊阿弥陀如来像(快慶作)寄進を受け、天蓮社眞譽上人見道大和尚を呼び寄せ開山。黒田家の菩提寺とした。(リンク先より) << 戻る
人物

井伊直政(いいなおまさ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。生誕 永禄4年2月19日(1561年3月4日)命日 慶長7年2月1日(1602年3月24日)祥壽院殿清凉泰安大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

徳川家康、教如に京都烏丸七条の寺地を寄付(東西本願寺分立)

1602(慶長七)年2月、徳川家康、教如に京都烏丸六条の寺地を寄付(東西本願寺分立)。東西本願寺分立に至るまでの大きな分岐点としては、1591(天正十九)年、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は七条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した1592(文禄(ぶんろく)元)年、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状(ゆずりじょう)があったので、教如上人は隠退して裏方(うらかた)と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に...
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法音寺-大分県臼杵市

・法音寺 日蓮宗 大分県臼杵市二王座18組慶長七年(1602年)臼杵城城主、稲葉一通公が、小倉城主である細川忠興公の姫君を正室に迎えるため、その菩提寺として建立されました。その姫の名は「たら」徳雲院殿と申し、母親は細川ガラシャ(明智光秀公の娘)です。また、世界中に仏舎利塔を建立した、藤井日達上人が出家された寺院でもあります。(リンク先より) << 戻る
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開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
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明宗寺-島根県松江市

・明宗寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市寺町122慶長年間に開山されており、出雲地方で最も古くから浄土真宗寺院として開かれた寺院といわれています。また、明宗寺という寺号は慶長7年(1602)に本山より拝領されたものと記録されています。開基(初代)は僧・顕俊。摂州西成郡中島草刈の村・定専庄三番坊第4世了顕の弟で、俗名は楠木右京之進正俊といい、楠木正成の6代後の子孫にあたります。(リンク先より) << 戻る
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本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区

・本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。 慶長7年(1602)京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進される。慶長8年(1603)上野国妙安寺みょうあんじ(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れ、同年阿弥陀堂建立。慶長9年(1604)御影堂を建立し、ここに新たな本願寺を創立した。これが当派の本山である「...
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報恩寺-神奈川県綾瀬市

・陽廣山 報恩寺 曹洞宗 神奈川県綾瀬市寺尾南2-10-1報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院として開山されました。御開山は朝岩存夙大和尚(ちょうがんそんしゅく)(1618卒)、開基は後藤右近(ごとううこん) 心宗永伝居士(しんしゅうようでんこじ)です。御開山の朝岩存夙大和尚は、本寺 藤沢市遠藤の宝泉寺の六世であり、当山二世悦堂存怡大和尚(えつどうそんい)(1648卒)は宝泉寺七世になります、報恩寺の開山は小田原北条氏の家臣であったとも伝えられ、当山の末寺 大和の宗昌寺、寺尾の常久院の開山である、当山三世林室宗茂大和尚(りんしつしゅうも)(1648卒)は、師匠とその師匠を勧請開...
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養国寺-東京都新宿区

・養国寺 公式ホームページ 曹洞宗 東京都新宿区愛住町21養国寺は慶長七年(1602)、祥岩存吉大和尚により麹町半蔵門近くに開創されました。その後、寛永11年(1634)現在の愛住町へ移転しました。410年以上の星霜を重ねて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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光陽寺-愛知県犬山市

・瑞林山 光陽寺 臨済宗妙心寺派 愛知県犬山市大字今井字寺ノ前6当寺の最初の起源については不明ですが、村自体が平家の落人部落と伝承されており、実際は相当古いと思われます。正式には慶長七年(1602)、当時尾張に勢力を振るっていた犬山瑞泉寺の住職を初代に迎え臨済宗寺院となったのを開創としております。(リンク先より) << 戻る
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觀音寺-徳島県板野郡

・觀音寺 高野山真言宗 徳島県板野郡松茂町長岸120四国三郎のひとつ、吉野川河口にできた自然の中洲を開拓して発展した土地です。吉野川の支流は、決壊することも多く、觀音寺の境内も流されたようです。1602年に開基されましたが、境内地が洪水より流されたため150年ぐらい前に現在地に移転されたと記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-徳島県鳴門市

光徳寺(こうとくじ)山号は白毫山。宗派は浄土宗に属し、開創は1602年で、本尊は阿弥陀如来。阿波西国三十三ヶ所霊場第15番(十一面観音)阿弥陀如来坐像:市指定文化財(鎌倉時代)十一面観音立像:市指定文化財(鎌倉時代)
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金蔵寺-宮城県石巻市

・金蔵寺 曹洞宗 宮城県石巻市南境字金沢104慶長6年6月26日の創立。開山は『梅渓寺』8世伝室宗舒大和尚で、山岸飛騨守が開基である。往古、鎌倉期に創立され、『円花山 金沢寺』と称し、むかし砂金が産出されたことから金沢の地名が生まれたと言われる。(リンク先より)※慶長6年 1601年 << 戻る
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多福寺-大分県臼杵市

・多福寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字二王座191多福寺は、慶長6年(1601)臼杵第2代藩主稲葉典通公が、駿府(静岡)臨済寺鐵山宗鈍禅師の法嗣、了室宗密禅師を開祖に請うて創建した禅寺です。鐵山禅師は天文元年、甲斐国上条(甲府市)武田信玄の臣窪田氏の子で、幼くして恵林寺で出家しましたが、天文18年臨済寺の太原崇孚に参じ、太原寂の後更に同寺の東谷宗杲に随侍し印可を受けた人です。(リンク先より) << 戻る
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勝源寺-島根県大田市

・勝源寺 浄土宗 島根県大田市大森町大森イ430-1石見銀山史跡・勝源寺は、大久保石見守長安と、竹村丹後守道清が大旦那となって、1601年に建てられた。 当時、石見銀山は江戸幕府直轄の領地、「天領」と呼ばれ、幕府から任ぜられた奉行・代官の下、一大産業都市として栄えていた。勝源寺は、そんな奉行・代官の菩提寺として、人々の尊敬を得た。(リンク先より)<< 戻る
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極楽寺-新潟県小千谷市

・極楽寺 浄土真宗本願寺派 新潟県小千谷市平成2-5-71560年 初代玄順が信州から越後に移り住み、長岡市摂田屋に光福寺を建立する。1601年 玄順、小千谷に移り住み極楽寺を建立する。1630年 2代了玄の時に正式に寺号と本尊(木像)を本山より受ける。1640年 現在地の旧寺町に移転する。(リンク先より) << 戻る
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正翁寺-神奈川県横浜市栄区

・本郷山 正翁寺 曹洞宗 神奈川県横浜市栄区鍛冶ヶ谷2-9-10正翁寺は慶長六年(1601年)、韓嶺良雄かんれいりょうゆう大和尚によって開かれました。前身は正翁庵といい、室町時代の後期、鍛冶ヶ谷大谷家の開基により、聖月但公しょうげつたんこう和尚によって開かれました。(リンク先より) << 戻る