「 投稿者アーカイブ:buddhism 」 一覧

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)

  江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。代表作に「寛政三美人」「たのしきまとひ」等がある。 生誕 1753年(宝暦3年)頃 命日 1806年10月31日(文化3年9月20日) 秋円了教信士 < ...

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十返舎一九「東海道中膝栗毛」初編

1802年、十返舎一九が「東海道中膝栗毛」初編を著す。 << 戻る

本居宣長(も通りのりなが)

  江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人と呼ばれた。また ...

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)

  江戸時代の画家。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号す。 代表作品 ・『動植綵絵』の内「群鶏図」「 ...

本願寺富山別院-富山県富山市

・本願寺富山別院 浄土真宗本願寺派 富山県富山市総曲輪2-7-12 1800年頃 (寛政年間~天保頃)川端町に町屋を買い本山会所を設ける 1884年(明治17年) 9月13日 別院昇格の許可(以後3度 ...

正満寺-東京都港区

・正満寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区高輪1-27-44 寛政 九年 (1798)文如上人裏書の蓮如上人御影安置。 文化 五年 (1808)本願寺十九代本如上人裏書の文如上人御影一幅、親鸞聖人絵伝四幅 ...

国府別院-新潟県上越市

・国府別院 浄土真宗本願寺派 新潟県上越市国府1-7-1 本願寺国府別院の本堂は寛政10年(1798)に造立、 文化2年(1805)に建立され、総﨔造りの本堂にして、当時の越後地方の寺院建築としては実 ...

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本居宣長「古事記伝」

1798年、本居宣長が「古事記伝」を著す。 << 戻る

円山応挙(まるやまおうきょ)

  江戸時代中期~後期の絵師。 近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われて ...

長谷川平蔵(はせがわへいぞう/宣以/のぶため)

  江戸時代中期の旗本で、火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。家督相続後は父・長谷川宣雄と同じく平蔵を通称とした。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公 ...

最乗寺-神奈川県横浜市都筑区

・勝田山最乗寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市都筑区勝田町1277 最乗寺の歴史は古く、今から約530年前に浄土真宗の寺院として開創されました。 長きに渡り、この地でご門徒の方々と共に歩み続け、当世 ...

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ロシアの使節ラックスマンが根室に来る

1792年、ロシアの使節ラックスマンが根室に来る。 << 戻る

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林子平「海国兵談」

1792年、林子平が「海国兵談」を著し、罰せられる。 << 戻る

法幢院-山梨県甲州市

・雲龍山 法幢院 曹洞宗 山梨県甲州市塩山上萩原94 開創  寛政2年 本寺  龍石山 永昌院 開山  鐵容存州大和尚(リンク先より)※寛政2年 1790年 << 戻る

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朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。

1790年、朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。 << 戻る

田沼意次(たぬまおきつぐ)

  江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。 生誕 享保4年7月27日(1719年9月11日) 命日 天明8年6月24日(1788年7月27 ...

京都大火により東本願寺両堂消失

1788(天明八)年1月、京都大火により東本願寺両堂消失。 << 戻る

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松平定信が老中筆頭になる

1787年、松平定信が老中筆頭になる。寛政の改革 。 << 戻る

徳川家治(とくがわいえはる)

  江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。 生誕 元文2年5月22日(17 ...

無量寺-和歌山県東牟婁郡

・無量寺 臨済宗東福寺派 和歌山県東牟婁郡串本町串本833 錦江山無量寺は、本土最南端の地である和歌山県東牟婁郡串本町に在る、虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院です。 もともとは、現在地から ...

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最上徳内が千島・樺太を探検

1786年、最上徳内が千島・樺太を探検する。 << 戻る

与謝蕪村(よさぶそん)

  江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥 ...

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天明の大飢饉

1783年、天明の大飢饉がおこる。 << 戻る

天明寺-群馬県前橋市

・天明寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市池端町645 当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと伝えられておりますが、実際には歴代住職の墓誌に「恵弁 貞享三 ...

平賀源内(ひらがげんない)

  江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。 生誕 享保13年(1728年) 命日 安永8年12月18日(1 ...

小田野直武(おだのなおたけ)

  江戸時代中期の画家。秋田藩士。通称を武助。平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。 生誕 寛延2年12月11日(1750年1月18日) 命日 安永9年5月17日(178 ...

善應寺-青森県平川市

・善應寺 真宗大谷派 青森県平川市高木原富66 安永8年(1779) 尾上村の住民、内山安右エ門氏の次男善正が弘前真教寺、黒石感随寺の許可を得て道場を開き、「善正寺」として開基 2代目住職感随寺智林和 ...

多福寺-福岡県柳川市

・多福寺 真宗大谷派 福岡県柳川市吉富町81 多福寺は、始まりは現在のみやま市山川町の竹井村という場所であったようです。そこで天台宗の寺院として存在していましたが、安永八年(1779年)に真宗に改宗し ...

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田沼父子が権力をふるう(田沼時代)

1779年、このころ田沼父子が権力をふるう(田沼時代)。 << 戻る

池大雅(いけのたいが)

  江戸時代の文人画家 、書家。幼名は又次郎など。諱は勤、無名、字は公敏、貨成。日常生活には池野 秋平の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂、待賈堂、三岳道者、霞樵などが知られている。 ...

耕雲寺-東京都世田谷区

・耕雲寺 曹洞宗 東京都世田谷区砧7-12-22 安永5年・1776年、旗本の頭領であった水野十郎左衛門が非業の死をとげた事から、水野十郎左衛門の菩提を弔う為に、愛妾が出家をし「釣月」という法名を頂き ...

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平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる

1776年、平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる。 << 戻る



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