
buddhism


梵鐘(ぼんしょう)
梵鐘とは、仏教寺院において時を告げるために朝・昼・夕に打たれ、撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らされます。その梵鐘により音色は様々ですが、重く余韻のある響きが特徴で、一般には除夜の鐘で知られます。<< 戻る

きっと、上手くなる
小学校から中学、高校、大学、専門学校、と教育機関は様々ありますが、誰もがそのような教育を受けてきたと思います。その時、どのように覚えましたか?繰り返し書いたり、声に出したり、身体を動かしたり、反復練習をしていたと思います。大人になって、新しいことを始める時も同じです。何となくやっても上手く行きません。良いなと思ったことは繰り返してみましょう。昨日より今日、今日より明日、きっと、上手くなります。<< 戻る

僧堂(そうどう)
仏教寺院において、修行者が集団生活を行いながら仏道修行に励むところを僧堂といいます。雲水僧が集まり来るという意味で雲堂、仏祖を選出する道場の意から選佛場、古木然として兀坐を行じているので古木堂、禅堂とも呼ばれます。修行道場では、朝の坐禅から夜の就寝・開枕まで、僧堂を中心に展開されます。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、中央には僧形文殊菩薩や摩訶迦葉が聖僧(しょうそう)として祀られています。(僧堂 總持寺大僧堂)<< 戻る

十二因縁(じゅうにいんねん)
十二因縁とは、人間の苦しみ、悩みがいかにして成立するかということを考察し、その原因を追究して十二の項目(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)の系列を立てたものです。存在の基本的構造の十二区分。縁起の理法を十二の項目に分けて説いたもの。また、後代の解釈によると、衆生が過去の業によって現世の果報を受け、また現世の業によって未来の果報を受ける因果の関係性を十二に分類して説いたもの。十二縁起。十二縁法。十二縁門。十二支縁起。十二輪。①無明(むみょう)とは無知のこと。煩悩の根本。迷いの中にいること。②行(ぎょう)とは、生活作用、潜在的形成力、志向作用。物事がそのようになる力のこと。③...

「あなたは悪くないよ」と悩んでいる人へ伝えたい。心の整理、身体の整理をしながら解決方法を探しましょう。

サンカーシャ – ブッダ三道宝階降下の地(僧伽舎)
サンカーシャはブッダ三道宝階降下の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。音訳して僧伽舎(そうぎゃしゃ)とも書かれます。サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)からブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をブッダが、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃...

ネットで連絡をいただいて、初めてご自宅や墓前に出向いて法要を行なうという経験は当然多いのですが、初対面ではお互いに緊張するものです。法要を終え「次回もお願いします」と言っていただけると「安心していただけたのかな」と安堵するというのが正直なところです。僧侶側が選り好みすることはないですが、依頼者にとってみれば相性が良いかどうかは重要なところですからね。

物事の見方というのは異なるものです。100円でも高いと思うことがある一方、5万円でも安いと思うことがあるのが人間です。大抵その価値は誰かが決めたことを物差しにして判断するのですが、自分にとって必要なものかどうか、自分にとって必要な経験になるかどうか、そういったところも加味して判断したいものです。

達磨忌(だるまき)
達磨忌とは、菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)の命日が10月5日であることから、特に禅宗の臨済宗や曹洞宗、黄檗宗では達磨大師の遺徳をしのぶ法要や坐禅会が行われます。年代は伝承に矛盾する点が多く、はっきりしないのですが、6世紀頃、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。<< 戻る

「他人から言葉で警告された時には、心を落ちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善い言葉を発せよ。その時に相応しくない言葉を発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。」(スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】16、サーリプッタ)

「最上の幸福を説いて下さい。」という願いに対してお釈迦様は列挙する中で「尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。」と答えています。(スッタニパータ【第2 小なる章】4、こよなき幸せ)

何をするにも人と人との関わりからは逃れられません。苦手意識があっても、感謝と敬意があれば、あなたと相手を傷つけることはないでしょう。

10月の出来事/有名人の誕生日・命日

大山のぶ代(おおやまのぶよ)
テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当した。女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。71歳だった2005年3月に他の主要キャストと共に『ドラえもん』の声優から勇退。26年間務めた役を次の世代に託した。最後のアフレコを終え、「ドラえもんは私の子供というか、身内。ドラえもんは私の中にいつもいますから、寂しさはあまり感じていません」と語るなど、子供のいなかった大山さんにとってドラえもんは愛するわが子同然だったようです。生誕 1933年〈昭和8年〉10月16日命日 2024年〈令和6年〉9月29日<< 戻る

身体が整ってこそ心穏やかで、心が整ってこそ健全な身体で、身体や心が整っていない時でも整える術を知っていて、整えようと精進すること。

供養したい気持ちがあるならば、それを行動に移してみましょう。手を合わせるだけでも、動画でお経を再生するだけでも、供養したい気持ちを形にしてみましょう。供養には必ずしもお金はかかりません。供養することで気持ちも整います。

ルール、約束を守ることは大事なことです。そこには相手や対するものを敬う気持ち、敬意があるからです。ルール、約束を守ることが目的ではなく、敬意ある行動を取ろうとすることが大事です。それを促すルールが定められているだけです。言いにくいこと??そんあこと誰だってありますよ。間違いを犯してしまった??誰だって大小あるものの悔いはあります。心の引っ掛かりを少しでも取るには反省が必要です。そのために布薩法要を自分で実施できる動画も公開しています。

お布施について。お寺やご自宅、墓前、法要会場で直接会ってお布施をいただくことはその場でお互い納得して授受できるのが通常ですが、中には問題もあります。お布施の袋を開ければ空であったり、約束のお布施内容ではなかったり、こういった場合は事前にご相談いただけば適切な対応が出来るものの、何も言わずにこういうことがあればどの寺院も運営していけなくなるのです。他の例では、何かしらの「証明書を書いてくれたらお布施を払います」と例外的な相談があって、証明書を作成して送ったものの、お布施の申し出もなくなり、音信不通になりました。何度かご自宅に出向いて法要を実施させてもらっても、このような対応が出来てしまうのが人間です。そういったことから、後払いは絶対に対応してはいけないし、お布施の下限金額は明確に定めなければいけないという方針を敷いています。

朝晩は涼しくなりましたが昼間の気温はまだまだ高いですね。晴れ間を狙って秋冬物の洗濯に励んでいます。修行道場であれば、四九日(しくにち)という四と九のつく日にしか洗濯をする時間がとれなかったりしますが、その日に天気が良いとは限らないので困ったものです。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は昔から言われていますが、今日は涼しく感じられる時間が多くありました。朝は4時半過ぎに出勤のため外を歩いていましたが星空が美しかった。自然を自然に感じられることは幸せです。

生物は新種が見つかると名前を付けます。人間は子どもが産まれると名前を付けます。これまでとは違う状況を確認して、新たに区別しなければいけない存在なので名前を付けています。戒名も同じことです。生前戒名であればこれまでの生き方を改めた時にもうひとつの名前である戒名を持ち、亡くなった後に付ける戒名ならば遺族がその状況を納得するため、供養するために戒名を付けます。

まだ公開まで時間がかかると思いますが『観無量寿経』の漢文とよみを写経(入力)しています。読経している時とはまた違い、気づくことが多々あります。合掌

Q「秋分の日に仏教のお彼岸をしているのはどうしてですか?」▶▶ A「秋分の日は二十四節気のひとつですが、国民の祝日に関する法律には【祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ】日と定められています。仏教のお彼岸という行事が伝統的に広く行われる年中行事であることから祝日になっています。なお、秋分の日(および春分の日)は太陽が真東からのぼって真西へ沈むことから、浄土思想で言うところの極楽浄土があるとされる【西の彼方/彼岸】と通じる日と考えられるようになりました。浄土系の仏教だけではなく、ほぼ全ての寺院がお彼岸の行事をしているため、他の説を主張する場合もあるかもしれません。」

明日は秋彼岸の中日、秋分の日です。明日実施するお彼岸供養(供養之証は無記名)のご依頼は締め切らせていただいております。通常の法要依頼ではお彼岸期間中の彼岸供養を受付中です。合掌

典座(てんぞ)
典座とは、六知事の一つで、禅院で衆僧の食事を司る役名です。禅宗寺院では昔から食事を担当するこの役職を非常に重んじ、尊敬されています。『典座教訓』(道元)・「衆僧を供養す故に典座有り」(『禅苑清規』)・「仏家に本より六知事有り。共に仏子たり。同じく仏事を作す。中に就いて典座の一職は、是れ衆僧の弁食を掌どる。」(『典座教訓』1、職を勤める姿が仏の姿)<< 戻る

布薩の動画も好評をいただいているものの、他の動画よりも再生回数が伸びないのはどうしてなのかと考え、タイトルに具体的な内容を盛り込んで変更してみました。恐らく、動画が長いから敬遠されている部分もあるのかとも推測しているのですが。。。実際に動画を見ていただくと法要部分は10分以内で、その後、鐘の音が鳴っている中を各自が反省や見直し、見つめ直しをする時間にしています。布薩の日に限らず使っていいですよ。

忌日になるから供養しなければいけないということではなく、祈りを形にしたい時、気持ちを整えたい時に供養をします。

本日は「彼岸の入り」です。お彼岸供養(3000円/無記名)は9月22日/秋分の日に実施しますが、前日の午前まで受付けます。また、記名ありの通常の法要依頼でお彼岸供養を依頼する場合は9月25日(水曜)「彼岸の明け」までを目安に受付けています。合掌

今日は満月なので布薩(ふさつ)の日、反省の日です。だからと言って「布薩だから反省しないといけない」という思考回路になると良くないのです。「より良く生きるために反省する」ための機会として布薩を実施します。月が丸く満ちた満月の時、月がほぼ見えない新月の時、この節目に布薩を実施しています。

様々な基準はあるにせよ、昨晩見た月は満月の形ではなかったので、とにかく、十五夜は満月であるというのは大事なところだと思います。
