施薬院(せやくいん)とは、貧しい病人に薬を与え疫病(えきびょう)の治療をした施設です。今の病院にあたります。
悲田院(ひでんいん)とは、貧窮者・病者・孤児などの救済施設です。今の養護施設にあたります。
723年(養老7年)、皇太子妃時代の光明皇后が奈良の興福寺に施薬院と悲田院を創設しれたという記録が『扶桑略記』にあり、これが記録上最古の施薬院と悲田院です。その後、役割を補い合い、各所につくられるようになりますが、中世には衰亡しました。また、豊臣秀吉が再興しています。
光明皇后(701〜760年)は、奈良時代の聖武天皇の皇后です。名は光明子(こうみょうし)といいました。安宿媛(あすかべひめ)ともいいます。藤原不比等(ふじわらのふひと)のむすめで、皇族以外ではじめて皇后になりました。仏教を深く信じ、東大寺や国分寺の創建は、そのすすめによるといわれています。
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