772 窟(身体)の内にとどまり、執著し、多くの煩悩に覆われ、迷妄の内に沈没している人、このような人は、実に遠ざかり離れること(厭離)から遠く隔たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。
773 欲求にもとづいて生存の快楽に捕らわれている人々は、解脱し難い。他人が解脱させてくれるのではないからである。彼らは未来をも過去をも顧慮しながら、これら目の前の欲望または過去の欲望を貪る。
774 彼らは欲望を貪り、熱中し、溺れて、物惜しみし、不正に執着しているが、死ぬ時には苦しみに襲われて悲嘆する、「ここで死んでから、我々はどうなるのだろうか」と。
775 だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、そのために不正を行なってはならない。「人の命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。
776 この世の人々が、諸々の生存に対する妄執に捕らわれ、震えているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。
777 何ものかを我がものであると執著して動揺している人々を見よ。彼らのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「我がもの」という思いを離れて行うべきである。諸々の生存に対して執著することなしに。
778 賢者は、両極端に対する欲望を制し、感官と対象との接触を知り尽くして、貪ることなく、自責の念にかられるような悪い行いをしないで、見聞する事柄に汚されない。
779 想いを知り尽くして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、煩悩の矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世もかの世も望まない。
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なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。
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