仏師、彫刻家。幼名は光蔵。明治維新以後は廃仏毀釈運動の影響で、仏師としての仕事はなく、輸出用の象牙彫刻が流行したために木彫も衰え、光雲自身の生活も苦しかった。そのような中で光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫を写実主義を取り入れることで復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たした。
1889年(明治22年)から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、同年10月2日、帝室技芸員に任ぜられる[1]。1893年(明治26年)には『老猿』をシカゴ万博に出品。1900年(明治33年)には『山霊訶護』をパリ万博に出品。1926年(大正15年)に東京美術学校を退職し、名誉教授。
代表作
老猿(東京国立博物館蔵)1893年(明治26年)シカゴ万博出品作。木彫。国の重要文化財に指定。
西郷隆盛像(上野恩賜公園)1897年(明治30年)に完成し、翌年除幕式が行われた。傍らの犬は後藤貞行の作。
楠公像(皇居前広場)
生誕 1852年3月8日(嘉永5年2月18日)
命日 1934年(昭和9年)10月10日
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