飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。 藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。
文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことが出来るとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる。
生誕 斉明天皇5年(659年)
命日 養老4年8月3日(720年9月9日)
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