・富山別院 真宗大谷派 富山県富山市総曲輪2-8-29
明治維新という日本が大変革された時代に、廃仏毀釈の嵐が富山藩を吹き荒れました。明治3年、藩内の仏教諸宗に対して一宗に一カ寺しか存続を認めない「合寺令」が断行されたのです。権力による激烈な仏教弾圧によって、藩内の200以上の真宗寺院が取り壊されました。
念仏の灯火が消されそうになった地に、門徒たちは聞法の場を求めました。明治19年、富山城の外堀を埋め立てて説教所の敷地にしようと「砂持奉仕」が実施されました。延べ7000人以上の人々が神通川から土砂を運び、埋め立てて、現在の総曲輪に寺地を築きました。これが富山別院の始まりです。(リンク先より)※明治19年 1886年
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