【仏教用語/人物集 索引】

大鑑慧能(たいかんえのう)

投稿日:0713年8月3日 更新日:

 
中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思南嶽懐譲南陽慧忠荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。曹渓大師。大鑑慧能。六祖慧能。曹渓山宝林寺。

師の大満弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めると言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書くが、その詩を弘忍は認めない。それを聞いた慧能は、神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたことで六祖になったといわれている。

神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)

慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提もと樹無く 明鏡また台にあらず)
本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれのところにか塵埃をひかん)

・「第三十二祖大満禅師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を称なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付属する、不群の行持なり。衣法を神秀にしらせず、慧能に付属するゆゑに正法の寿命不断なるなり。」(「正法眼蔵」行持・下

・「第三十三祖大鑑禅師、未剃髪のとき、広州法性寺に宿するに、二僧ありて相論するに、一僧いはく、幡の動ずるなり。
一僧いはく、風の動ずるなり。
かくのごとく相論往来して休歇せざるに、六祖いはく、風動にあらず、幡動にあらず、仁者心動なり。」(「正法眼蔵」恁麼

生誕 638年2月27日(貞観12年2月8日)

命日 713年8月28日(先天2年8月3日)

<< 戻る

-人物
-, , , , , , ,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.