曹洞宗の出来事

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海潮寺-山口県萩市

・海潮寺(なるほど法話 海潮音) 曹洞宗 山口県萩市北古萩50開創は応永15年(1408)、開山は不見明見。もと石見国温泉津(現、島根県邇摩郡温泉津町)に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まる。のち毛利輝元の防長移封に際し、慶長12年(1607)、第12世大佐のとき萩に移り、山号・寺号を現在のものに改めた。(リンク先より) << 戻る
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龍泰寺-岐阜県関市

・龍泰寺 曹洞宗 岐阜県関市下有知5055-1応永14年(1407)第1祖無極慧徹(むごくえてつ)禅師によって開創され、第2祖月江正文大和尚、第3祖開山華叟正萼(かそうしょうがく)大和尚に受け継がれた。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-新潟県五泉市

・慈光寺 曹洞宗 新潟県五泉市蛭野870時の嶽城主・神戸太郎最重が室町時代初期、応永10年(1403)頃、岩船・耕雲寺の傑堂能勝禅師の道風を慕い、師を勧請して中興の祖となし、爾来、禅刹として再興。ご開山・傑堂能勝禅師は、南北朝時代、後醍醐天皇を支えた楠木正成の直孫と伝えられる。早くから祖父・正成の意志を継いで、南朝の再興を願い、一族と共に良く奮戦するが、25歳の時、相手方の弓矢により足を痛められ治療の折、仏典を読み戦国乱世の虚しさを感じ、諸方に多くの禅匠を参じた後、越前・龍沢寺の梅山聞本禅師の会下に投じ、禅の奥義を究めたといわれている。(リンク先より) << 戻る
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可睡斎-静岡県袋井市

・萬松山 可睡斎 曹洞宗 静岡県袋井市久能2915-1創立 応永八年(1401年)開山 如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)本尊 聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とします。さらに宗派を越えて古来より火伏せの神とあがめられて全国津々浦々に奉祀 されている秋葉様の日本唯一のご真躰を安置されている秋葉総本殿三尺坊大権現の道場である。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長崎県佐世保市

・西方寺 曹洞宗 長崎県佐世保市八幡町5-131400年初頭に相浦町洪徳寺住職のご隠居の庵『帰一庵』として、相浦町に誕生したといわれています。その後、赤崎町に移転をし信仰を集めましたが、戦国時代佐世保城へ転封された赤崎伊予守(開基家)が赤崎町より現在の場所にお寺を移して以来500年、佐世保の中心のお寺として現在にいたります。(リンク先より) << 戻る
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常圓寺-長野県伊那市

・常圓寺 曹洞宗 長野県伊那市山寺3251応永六年(1399)に信濃国西伊那部村西山の内(現在の伊那市横山)の寺社平に開創されました。現在は記念碑が建っています。 その後、百年を経て文亀元年(1501)に賢甫宗俊禅師により開山され、現在地の字上の原山王権現(現在の伊那市山寺区)に移転再興されたのは天正九年(1581)で、五世造天弘宅大和尚のときであり、開基は御園の御子柴六左衛門茂久です。(リンク先より) << 戻る
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圓通院-宮城県大崎市

・圓通院 曹洞宗 宮城県大崎市三本木新沼字二又145-1当通龍山圓通院は第百代後小松天皇代の応永元年(一三九四年)上州(群馬県)白井村の最大山雙林寺三世曇英慧応大和尚によって開山された通幻派最乗寺系の寺院であり、御本尊は聖観世音菩薩であります。かつては鳴瀬川北岸に境内面積約二千坪を有する大伽藍でしたが、大正二年の鳴瀬川流域の大洪水の為、大正四年五月に現在地に移転し今に至るものであります。(リンク先より) << 戻る
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海蔵寺-広島県広島市西区

・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る
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龍護寺-石川県羽咋郡

・龍護寺 曹洞宗 石川県羽咋郡志賀町酒見門前67応永元年(1394)に開かれたお寺で總持寺五院の如意庵開基、実峰良秀禅師によって開かれました。開創にまつまる竜の伝説が残されていて、伝説に基づく湧き水「龍護水」が今でも境内裏の谷からこんこんと湧き出しています。古くより竜宮に通ずる霊場と云われ、ここからついた「りゅうぐうでら」と「りゅうごじ」が訛って、地元の人には「りゅうぐじ」と呼ばれています。<< 戻る
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廣見寺-埼玉県秩父市

・秩父虹寺 廣見寺 曹洞宗 埼玉県秩父市下宮地町25-29廣見寺は、明徳2年(1391)天光良産てんこうりょうさん禅師によって開かれた、秩父地方の曹洞宗最古の寺であります。天光良産てんこうりょうさん禅師は、曹洞宗第三の本山と言われる岩手県奥州市にある正法寺しょうぼうじ二世 月泉良印げっせんりょういん禅師の弟子で、その縁によって正法寺しょうぼうじ を本寺としています。(リンク先より) << 戻る
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甘露寺-静岡県駿東郡

・甘露寺 曹洞宗 静岡県駿東郡小山町菅沼681寺伝によると、甘露寺が菅沼のツウジハナの地に建立されたのは、嘉慶かけい元年(1387)といわれています。この年は、南北朝統一の5年前、南北朝分裂の時代【建武2年(1335)~元中9年(1392)の57年間】の末期にあたります。開基は、大楠公楠木正成くすのきまさしげ公の孫に当る、楠木正勝まさかつ公と伝えられています。正勝公は若く血気盛んな頃に、南朝方の武将として吉野山の西部十津川方面で戦いました。その敗色のこい戦いで、人間の運命のはかなさを知り、仏門に帰依きえし、正巌徳勝和尚しょうがんとくしょうおしょうとなり、ここ駿河国御厨みくりや郷菅沼ツウジハナの...
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願成寺-岩手県一関市

・願成寺 曹洞宗 岩手県一関市釣山31山号は「白馬山」寺号は「願成寺」。正法寺二世月泉大和尚九番目の弟子、梅栄元香大和尚によって至徳二年(1385)四月八日に開山されました。はじめは前渓山と号し、寺領十石、享保九年(1724)に現在の白馬山と改められました。(リンク先より) << 戻る
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東顕寺-岩手県盛岡市

・東顕寺 曹洞宗 岩手県盛岡市名須川町2-1松峰山東顕寺は至徳元年(1384)古山 良空 大和尚によって開創された寺院です。開基は、福士五郎政長 公です。福士氏は南部氏が盛岡に築城する以前から、この一帯の警備を任せられていた武士でした。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-兵庫県丹波市

・円通寺 曹洞宗 兵庫県丹波市氷上町御油983円通寺は、南北朝時代永徳二年(1382年)の正月に、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を奉じて創建しました。今日まで六百余年の歳月を経た、禅宗の古刹です。室町時代から江戸末期まで、二百余の末寺院と一千石を越える寺領を有りし、丹波はもとより但馬、播磨、攝津にかけて君臨していました。(リンク先より) << 戻る
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養円寺-愛知県蒲郡市

・養円寺 曹洞宗 愛知県蒲郡市相楽町上6天授元年(1375年)に天台宗として創建され、その後戦火で伽藍の全てを焼失したが、文禄4年(1595年)にこの地にゆかりの深い御開山鶴翁芳宿大和尚様が曹洞宗として再建された。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-愛知県田原市

・潮音寺 曹洞宗 愛知県田原市福江町原ノ島37当山の創建は1370年頃(足利義満の時代)。月江正公和尚(げっこうしょうこう)というお方が諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の末、風光明媚(ふうこうめいび)なこの 地に至り、朝夕濤々(とうとう)と響く潮の音に心を打たれ、此処 こそ安住の地と定め庵(いろり)を結び潮音堂と名づけたところ から始まる。(リンク先より) << 戻る
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立山寺-富山県中新川郡

・眼目山 立山寺(りゅうせんじ) 曹洞宗 富山県中新川郡上市町眼目15当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第二祖峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺である。禅師は肥前の出身。美濃の今須に妙応寺を建て、摂津に護国寺を建て、ついで越中に遊化し立山に詣で、その風景を愛し紫雲を見ながら座禅をしていると、そこに禅師の名僧ほまれ高きを慕い、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘(今の櫛形山9を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師を懇請した。立山権現は禅師と石上に対坐すること7日間、禅要戒法を聞いて、帰依し寺院の建立を約束した。その夜、大豪雨となり上市川に数千の大木が流れつき...
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龍泉寺-福井県越前市(越前国分寺跡)

・龍泉寺 曹洞宗 福井県越前市深草1・若狭 ⇒ 北陸道 越前 国分寺 ⇒ 加賀太平山・龍泉寺は、南北朝時代に通幻寂霊禅師(つうげんじゃくれいぜんじ)を開祖に創建され、曹洞宗の両大本山の一つ横浜の総持寺の「三十六門中」(筆頭直末寺院)に列する古刹であります。当寺は今を去ること約630余年前の応安1年(1368)越前守護・藤原義晴が木材を喜捨して通幻禅師を武生に招き創建されました。しかし、それ以前にもこの地には古代寺院が建てられていたようで、境内からは多くの白鳳時代の瓦や土器破片が出土し「深草廃寺」と称されており、現在も所在が不明な越前国分寺跡ではないかといわれております。(リンク先より)<< 戻...
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常幸院-山梨県南巨摩郡

・金龍山常幸院 曹洞宗 山梨県南巨摩郡身延町常葉439【開 山】 梅林禅芳大和尚(ばいりんぜんほうだいおしょう)*南明寺三世【本 寺】 南明寺(なんめいじ)*山梨県富士川町小林【開 創】 1360年代 *詳細不明(リンク先より) << 戻る
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青岸寺-滋賀県米原市

・青岸寺 曹洞宗 滋賀県米原市米原669南北朝延文年間(1356年~1361年)この地には当時の近江守護職であった佐々木京極道誉によって建てられた米泉寺がありましたが、永正の初め(1504年)の兵火で焼失しました。その時、本尊聖観音像のみが難を逃れ、その後小堂にて長く祀られることとなります。 その後は下って江戸時代、彦根大雲寺三世要津守三和尚が当地を遊行していた折に、朽ちた小堂に祀られた観音像を拝しひどく心を痛め、慶安3年(1650年)に再興を期して当山に入山。その際、敦賀の在人、伊藤五郎助の尽力により殿堂、伽藍はすぐに建立しましたが、程なくして五郎助は亡くなりました。守三和尚はこれを悼み、氏...
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宝蔵寺-秋田県大仙市

・宝蔵寺 曹洞宗 秋田県大仙市神宮寺神宮寺227宝蔵寺は、文和3年(1354)曹洞宗明峰派の高僧宝山宗珍大和尚(ほうざんそうちん)を御開山とし、外護の檀越冨樫左衛門誠白によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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崇禅寺-石川県金沢市

・崇禅寺 曹洞宗 石川県金沢市瓢箪町5-43※再確認時、表示されなかったためリンクを外しました。(旧アドレス:)1349年(貞和五年)御開山は明峰素哲禅師(加賀 大乗寺3世、羽咋永光寺2世)によって建立され2世也凞淳和尚を経て約三百年中絶していましたが、1648年(慶安元年)久外呑良大和尚(永光寺中興)によって現在の地に再興されると同時に、前田家縁の菅原道真公の尊像をお祀りしました。以後瓢箪町の天神様として2月25日(旧暦)春の大祭、9月25日(旧暦)秋の大祭はもちろん毎月25日には多くの参詣があり、金沢の祭りは、瓢箪町の春の天神様から始まり、瓢箪町の秋の天神様で終わると言われていました。(リ...
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瑞泉院-栃木県足利市

・瑞泉院 曹洞宗 栃木県足利市五十部町156開基 延元3年(1338年)680年の歴史がございます。本堂の他、観音堂(西国三十三尊観世音菩薩)(リンク先より) << 戻る
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慶昌寺-岩手県北上市

・慶昌寺 曹洞宗 岩手県北上市和賀町煤孫18-208鎌倉時代後期の建武年間(1334~1336)の頃、鎌倉にある建長寺の法幢山泰嶺(ほうどうたいれい)大和尚が退院(隠居)したのち、全国を行脚しながらこの地にやってきました。泰嶺大和尚は和賀氏の本城だった二子(ふたご)城(別名・飛勢(とばせ)城を訪ねました。やがて泰嶺大和尚は流俗を嫌って、この地に留まることを決め、煤孫の長出の庄(現在地付近)に小庵を結びました。泰嶺大和尚は(法幢庵)と号して住まいしたといいます。(リンク先より) << 戻る
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光厳寺-群馬県富岡市

・光厳寺 曹洞宗 群馬県富岡市下高瀬731光厳寺は鳳来山光厳寺と号し大本山永平寺直末の寺院である。寺の縁起は室町時代人皇九十六代光厳天皇の御開基で大本山永平寺八世鷹林喜純禅師を開山としている。江戸時代の天文、正保、安永年間に火災により重宝類は焼失し寺歴に不明な点がある。(リンク先より)※光厳天皇在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈元弘3年5月25日〉 << 戻る
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瑩山禅師(けいざんぜんじ)- 瑩山紹瑾(じょうきん)

瑩山紹瑾とは、一般には瑩山禅師と呼ばれる鎌倉時代の僧侶で、日本の曹洞宗教団では第四祖です。日本曹洞宗開祖の道元を高祖大師、瑩山を太祖大師と呼びます。諡号は佛慈禅師、弘徳圓明国師、常済大師。『伝光録』、『瑩山清規』などを著わしています。瑩山は、1268年11月21日(陰暦では10月8日)に越前多称邑(たねむら)(現在の福井県越前市帆山)の豪族瓜生家で生まれました。道元が亡くなってから15年後のことです。幼名を行生(ぎょうしょう)といいました。観世音菩薩を信仰する母親のもとで育てられた瑩山は、1275年、8歳の時に永平寺に入り、徹通義介禅師の下で沙弥となり修行を始めました。1280年、13歳の時に...
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瑩山禅師、永光寺に退隠

正中元(1324)年8月、總持寺を峨山紹碩禅師に譲り、永光寺に退隠します。<< 戻る
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總持寺は官寺となり一宗の大本山となる

元亨2(1322)年、後醍醐天皇より瑩山禅師に信仰上の10種の勅問を下されました。これに対する禅師の奉答により、同年8月28日、總持寺は「曹洞出世の道場に補任」されて官寺となり、一宗の大本山たることが認められ、勅定によって曹洞宗の教団であることを、宗の内外に公称するようになりました。<< 戻る
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總持寺祖院-石川県輪島市

・總持寺祖院 曹洞宗 石川県輪島市門前町門前1-18-甲大本山總持寺祖院、正しくは諸嶽山總持寺と言い今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。 (リンク先より) << 戻る
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瑩山禅師、諸嶽山總持寺へ

元亨元(1321)年、定賢律師の請いにより能登郡櫛比庄(現在の石川県輪島市)の諸嶽観音堂を譲り受け、寺名を諸嶽山總持寺(そうじじ)と改めました。<< 戻る
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永光寺-石川県羽咋市

・永光寺 曹洞宗 石川県羽咋市酒井町イ11永光寺(ようこうじ)は、正和元(1312)年、能登(石川県)に地頭酒匂頼親の娘(祖忍)の勧請を受けた太祖瑩山紹瑾禅師が、生涯幽棲の地と定めて創建した開山禅師示寂の道場です。そこで『坐禅用心記』を撰述しました。坐禅の心得を説いた指導書で、『普勧坐禅儀』と共に参禅する者にとって欠くことのできない教説です。創建当時は、本寺を中心に5院20数坊を擁し、曹洞宗五祖の遺品を埋納した五老峯の築造や、三重の利生塔の建立。さらに後醍醐天皇をはじめ、4代に渡り勅願寺を務め隆盛を極めますが、応仁の乱、天正7年(1579)の兵火に遭い全山を焼失。現在の伽藍は寛永以降の再興で、...
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瑩山禅師、浄住寺開山

応長元(1311)年、加賀の浄住寺を開きます。<< 戻る