臨済宗の出来事

仏教を本気で学ぶ

京都の五山 ~五山制度と臨済宗~

1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。今回は京都五山を紹介します。合わせて、インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきましたのでご覧ください。南禅寺 (なんぜんじ)京都五山の上。亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)をむかえ、1291(正応4)年に離宮を禅寺にして開かれた寺院で、五山の上に置かれ、全ての禅寺の中で最高位の格式をもちます。天龍寺(てんりゅうじ)京都五山の第一位。室町幕府初代征夷代将軍足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため夢窓疎石をむかえ...
年表

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寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。飛鳥時代, 奈良時代, 平安時代, 鎌倉時代, 室町時代, 安土桃山時代, 江戸時代, 明治時代, 大正時代, 昭和時代, 平成時代, 令和時代, 曹洞宗の出来事, 浄土宗の出来事, 浄土真宗の出来事, 天台宗の出来事, 真言宗の出来事, 臨済宗の出来事, 日蓮系宗派の出来事, 諸宗派の出来事, 世界の出来事(仏教),世界の出来事(仏教以外),仏教(インド)の出来事,仏教(中国)の出来事,日本の出来事(仏教以外)...
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通天寺-沖縄県島尻郡

・通天寺 臨済宗相国寺派 沖縄県島尻郡八重瀬町後原326-4当寺院は2009年12月20日、大本山相国寺、有馬頼底管長猊下導師の元落慶法要を厳修し、相国寺派の末寺として沖縄県に創建となりました。(リンク先より) << 戻る
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日本で初めて樹木葬が行われる – 岩手県一関市の祥雲寺(現在の知勝院)

雑木林づくりと墓地が合体した、散骨ではない新しいかたちの自然な葬法、日本初の樹木葬墓地(1999年11月1日)が誕生しました。樹木葬墓地は、やすらぎの自然(雑木林)再生に関心のある方にお勧めします。(リンク先より)・樹木葬(知勝院)<< 戻る
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報恩寺-栃木県佐野市

・報恩寺 臨済宗建長寺派 栃木県佐野市山形1178現在の本堂は、平成6年に火災により焼失したものに代わり、平成10年10月に檀信徒の皆様のお力添えにより再建されたものです。行基作と言われる立像の薬師如来像がご本尊として祀られております。(リンク先より)※平成6年 1994年 << 戻る
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清大寺(越前大仏)-福井県勝山市

・清大寺(越前大仏) 臨済宗妙心寺派 福井県勝山市片瀬50字1-1昭和62年5月28日に落慶した清大寺は、大実業家である多田清翁の一大願心で建立されました。広大な境内には緒伽藍が整然と配置されさらに大小多数の仏像が安置されております。 平成14年末に宗教法人として認証され、21世紀以降に向けて歴史を刻むべく大きく歩みだした寺院です。過去の歴史に縛り付けられていない無限の可能性を秘めた寺院といえるでしょう。(リンク先より)※昭和62年 1987年<< 戻る
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神勝寺-広島県福山市

・神勝寺 臨済宗建仁寺派 広島県福山市沼隈町上山南91天心山神勝寺は、昭和40年(1965)12月2日益州宗進禅師(臨済宗建仁寺派第7代管長)に深く帰依された開基神原秀夫氏が禅師を開山に招請して建立された臨済宗建仁寺派の特例地寺院である。(リンク先より) << 戻る
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雲祥院-秋田県秋田市

・雲祥院 臨済宗妙心寺派 秋田県秋田市飯島穀丁9-48第二次世界大戦終戦前夜 昭和二十年八月十四日 土崎の日本石油がアメリカ軍のB29の爆撃にあい、雲祥院は県内でただ一ヶ寺の戦災寺院となりました。(リンク先より)※昭和二十年 1945年 << 戻る
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金龍寺-静岡県浜松市北区

・金龍寺 臨済宗妙心寺派 浜松市北区細江町気賀9614昭和2~3年頃、当山は無住の寺でした。当時、病気治療の為この細江の地に身を寄せていた青年僧の山田無文が、当山の看護(留守番)を進んで引き受け、約2年ほど当山で過ごされた。その間、本堂の外縁で夜座(坐禅)をし、無の境地、不二の世界を味わいっていた。その時に詠まれた言葉の一つが境内の歌碑として建立されている。(リンク先より)※昭和2 - 1927年 << 戻る
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法雲寺-静岡県浜松市西区

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見5332-1明治43年安寧寺末の小庵、正法庵・耕雲庵が合併し、両庵の法と雲をとり法雲寺となりました。正法庵・耕雲庵ともに記録が残っておらず、開創年代・開山禅師の略歴などは不明とされています。(リンク先より)※明治43年 1910年 << 戻る
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一華寺-広島県呉市

・一華寺 臨済宗佛通寺派 広島県呉市西中央5-7-1明治28年、自宅医院に隣接した土地に小庵を建て、寛量和尚の常宿ともし、そこで毎月参禅会も開いた。小さな標札には『仏通寺事務所』とあった。(リンク先より)※明治28年 1895年 << 戻る
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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設けられ、全ての神官・僧侶等が兼任させられました。神仏合同による布教が求められ、以後、教導職でない人は、一切の宗教的布教活動は出来ないことになったのです。そして、教導職をまとめたり、大教を広めるための指導機関として、東京に設けられたのが「大教院(だいきょういん)」です。更に、その下部機関として各府県に設けられたのが「中教院(ちゅうきょういん)」や「小教院(しょうきょういん)」です。<< 戻る
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長久寺-山口県岩国市

・長久寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市美和町生見817明治五年に長徳寺と盛久寺とが合併して改められたものです。長徳寺は、ご本尊の地蔵菩薩は行基の作とされ、嘉元元年に郷士長野修理之助が建立し、善庵慶淑禅師を開山として創建と伝えられています。(リンク先より)※明治五年 1872年 << 戻る
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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。<< 戻る
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神仏分離令、廃仏毀釈(しんぶつぶんりれい、はいぶつきしゃく)

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府は神仏分離令出す。廃仏毀釈によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)はゆきすぎた仏教廃止運動でした。明治維新の復古思想から神道を国教とする考えがあり、神仏分離令がだされ、神社から仏教的なものがのぞかれました。神官を先頭とする群衆が寺をおそって仏像や仏具を焼いてしまいました。奈良の興福寺の五重塔は、わずか25円(一説には250円)で売りにだされたといいます。<< 戻る
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弘源寺-京都府京都市右京区

・弘源寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65本堂は客殿形式で寛永年代の造営です。正面中央には本尊観世音菩薩、右側に開山である玉岫禅師木像、左側に開基である細川右京太夫持之公の位牌を祀っています。 柱に残る刀傷は、京都御所蛤御門の変(1864)に際し天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が、血気に逸り試し切りなどをしたものです。(リンク先より) << 戻る
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光教寺-愛媛県西予市

・光教寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県西予市宇和町卯之町3-100天保14年建築の本堂です。同時期に建てられた庫裏と共に、平成20年5月頃から耐震強度補強と老朽化の傷みを修復する為修復工事を行っています。(リンク先より)※天保14年 1843年 << 戻る
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福聚寺-京都府舞鶴市

・福聚寺 臨済宗東福寺派 京都府舞鶴市字常721伝承によると、福聚寺は、常村北側山腹にあり、火事で焼け1823年【文政6年】現在地に移りました。その後1927年【昭和2年】藁葺き屋根から瓦葺屋根に吹き替え現在に到っております。(リンク先より) << 戻る
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無量寺-和歌山県東牟婁郡

・無量寺 臨済宗東福寺派 和歌山県東牟婁郡串本町串本833錦江山無量寺は、本土最南端の地である和歌山県東牟婁郡串本町に在る、虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院です。 もともとは、現在地から少し離れた袋という小さな入り江の地区にあり、その地形故にたびたび津波の被害にあいましたが、宝永4年(1707年)10月の宝永地震による大津波で全壊・流失してしまいました。その後、流出した無量寺の再建の使命を帯びた臨済宗白隠下の禅僧、文保愚海和尚が入院(じゅいん)し、大津波より79年後の天明6年(1786)、辛苦の末、現在の位置に本堂再建の業を果たされました。(リンク先より)<< 戻る
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華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区

・華厳寺(鈴虫寺) 臨済宗永源寺派 京都府京都市西京区松室地家町31秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。(リンク先より) << 戻る
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安城寺-愛媛県松山市

・安城寺 黄檗宗 愛媛県松山市朝美2-5-16安城寺は、享保5年(1720年)徳川8代将軍吉宗のとき、松平定英が松山城主となり、享保8年(1723年)松山城と城下町が安泰でありますようにとの願いから「安城寺」と名付け、石門和尚により開山されました。(リンク先より) << 戻る
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総持院-愛知県岡崎市

・総持院 臨済宗東福寺派 愛知県岡崎市岡町字西野々宮17開創は享保三年(1718)、開山は唱宗和尚である。本尊様は阿弥陀如来坐像、鎮守様は秋葉山大権現。800年程前にあった薬師堂を基に開かれた寺院である事から、山号を「薬王山」とされている。(リンク先より) << 戻る
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法眼寺-静岡県賀茂郡

・法眼寺 臨済宗建長寺派 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科860-1かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。(リンク先より)※享保年間  1716年から1736年 << 戻る
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覚苑寺-山口県下関市

・覚苑寺 黄檗宗 山口県下関市長府安養寺3-3-10当山は長府藩主第三代毛利綱元公が、元禄11年(1698年)、黄檗山万福寺の第七代住持であった中国僧、悦山道宗禅師を勧請開山として迎え創建した黄檗宗の寺院です。もともと、当山の前身は市内綾羅木にあった古刹元享山利済寺でしたが、それを現在地に移し、名を法輪山覚苑寺と改められました。(リンク先より) << 戻る
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大年寺-宮城県仙台市太白区

・大年寺 黄檗宗 宮城県仙台市太白区門前町3-22元禄9年(1696)11月、第四代仙台藩主伊達綱村公が鍬入れの式を行って茂ケ崎の地を拓き、宮城郡若林にあった廃寺小蓬山仙英寺の遺址を此処に移して新たに堂塔を建設し、両足山大年寺と号しました。同10年(1697)、下総國向島弘福寺普應鐡牛和尚を請うて開山始祖とし、8月、落慶の祝典を挙げました。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-山口県萩市

・東光寺 黄檗宗 山口県萩市椿東1647吉就は慧極のために寺を建てようとしたが、当時は新寺の建立が禁止されていたので、下関(厚狭郡松谷村)の廃寺であった東光寺(本尊薬師如来)を、家臣の別荘地であった萩松本の土地を買い取って移した。この東光寺創建は元禄四年(1691年)のことである。(リンク先より) << 戻る
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建福寺-福島県郡山市

・建福寺 臨済宗妙心寺派 福島県郡山市西田町木村字寺ノ前14当山は敕謚大光禅師覆庵宗己大和尚を歓請開山に頂き、開基は、慈雲意公首座和尚である。開創は定かではないが東北横断自動車道遺跡調査報告15(木村舘跡)によると、天正11年木村領主木村越中守が滅亡後、三春領家臣橋本刑部がこの地を治めた。その時、人心を治めるため福聚寺より首座和尚の慈雲意公和尚が錫を止めたのであろうと考えられる。元禄三年、二世中興是心悟公首座和尚が、東西七軒南北四軒三尺の本堂を建てた。(リンク先より)※元禄三年 1690年 << 戻る
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西願寺-静岡県駿東郡

・西願寺 黄檗宗 静岡県駿東郡長泉町下長窪3861654年に来日された中国僧隠元禅師によって創建された黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を本山とする。名僧の一人「一切経」の木版を苦作された鉄眼禅師の兄弟子で、治山治水に功績を残された鉄牛禅師を開山とする。貞享3年(1686)12月鉄牛禅師の法嗣香州禅師がその志を継ぎ、愛鷹山麓の台地にあって長久保城跡と百沢渓谷を距てて相対する形勝の地に当寺を創建された。(リンク先より) << 戻る
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常休寺-兵庫県伊丹市

・常休寺 黄檗宗 兵庫県伊丹市中野北2-11-5承応3年(1654)に中国から渡日した隠元隆琦禅師が、寛文元年(1661)宇治に開山した黄檗山萬福寺の第2代木庵性滔和尚の弟子、慧極道明和尚によって天和3年(1683)に再勧請開山された。新田中野村は寛永7年(1630)に、浅野孫左衛門等によって開拓が始められ、以来50有余年の間、約50家族の人達によって村としての活動がなされ、村の様子も整ってきた。(リンク先より) << 戻る
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大興寺-佐賀県佐賀市

・大興寺 黄檗宗 佐賀県佐賀市神野東3-10-3佐賀藩主、鍋島光茂公、綱茂公らの熱心な帰依を受けた、黄檗開祖隠元禅師の直弟子即非禅師の法嗣、桂巖禅師を開山禅師として勧請、諫早4代領主の奥方、伊勢姫「霊光院殿聴松實操大師」を開基、諫早家の佐賀での菩提寺として、天和3年(1683)神埼の安国寺末であった即宗庵再興の許可を得、元禄16年(1703)9月、当時の寺社奉行・小城臨済宗圓通寺から大興寺の寺号を受け開かれた、京都宇治黄檗山萬福寺を大本山とする黄檗宗の末寺です。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-岩手県一関市

・祥雲寺 臨済宗妙心寺派 岩手県一関市台町48-2大慈山祥雲寺というお寺の名前は、1682年に定められ、一関藩を治めていた大名家、田村家の菩提樹です。開基は、仙台藩二代当主の伊達忠宗公(仙台藩初代、伊達政宗公の嫡子、次男)の側室であった房姫です。開山和尚は、松島にある瑞巌寺の大機円応禅師であったといわれています。(リンク先より) << 戻る
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達磨寺-群馬県高崎市

・達磨寺 黄檗宗 群馬県高崎市鼻高町296昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂がありました。ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、延宝八年(1680)一了居士いちりょうこじという行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まりました。(リンク先より) << 戻る