人物 徳川家治(とくがわいえはる) 江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。生誕 元文2年5月22日(1737年6月20日)命日 天明6年8月25日(1786年9月17日)浚明院殿贈正一位大相国公<< 戻る 1786.08.25 人物
人物 平賀源内(ひらがげんない) 江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。生誕 享保13年(1728年)命日 安永8年12月18日(1780年1月24日)智見霊雄大居士<< 戻る 1780.12.18 人物
人物 小田野直武(おだのなおたけ) 江戸時代中期の画家。秋田藩士。通称を武助。平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。生誕 寛延2年12月11日(1750年1月18日)命日 安永9年5月17日(1780年6月19日)絶学源真信士<< 戻る 1780.05.17 人物
人物 鈴木春信(すずきはるのぶ) 江戸時代中期の浮世絵師。細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼした。生誕 享保10年〈1725年〉命日 明和7年6月15日〈1770年7月7日〉法性真覚居士<< 戻る 1770.06.15 人物
人物 高遊外(こうゆうがい)- 売茶翁(ばいさおう) 江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外とも称した。佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で龍津寺に出家し僧名は月海。22歳で修行不足を恥じ江戸、仙台等各地へ出かけた。煎茶は長崎の中国僧から習ったとの説もある。また、隠元禅師が京都宇治に開いた、黄檗山(おうばくさん)萬福寺でも修業、中国伝来の文化に触れ、視野を広げた。晩年、龍津寺を弟弟子に託し再上洛。洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説いた。その姿に人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼んだ。通仙亭には文人墨客が集まり「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言... 1763.07.16 人物
人物 大岡忠相(おおおかただすけ)- 大岡越前 江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、関東地方御用掛(かんとうじかたごようがかり)や寺社奉行を務めた。越前守だったことと『大岡政談』や時代劇での名奉行としてイメージを通じて、現代では大... 1752.12.19 人物
人物 徳川吉宗(とくがわよしむね) 江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康の曾孫に当たる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月27日)命日 寛延4年6月20日(1751年7月12日)有徳院殿贈正一位大相国<< 戻る 1751.06.20 人物
人物 紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん) 江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしないなど、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。生誕 寛文9年(1669年)命日 享保19年4月24日(1734年5月26日)帰性融相信士<< 戻る 1734.04.24 人物
人物 井戸正明(いどまさあきら) 江戸時代中期の幕臣、大森代官、笠岡代官。享保の大飢饉の際に石見銀山領を中心とする窮民救済のため数々の施策を講じた。生誕 寛文12年(1672年)命日 享保18年5月26日(1733年7月7日)泰雲院義岳良忠居士<< 戻る 1733.05.26 人物
人物 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん) 江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛。平安堂、巣林子、不移山人と号す。家紋は「丸に一文字」。代表作『曽根崎心中』(1703年)『冥途の飛脚』(1711年)『国性爺合戦』(1715年)『心中天網島』(1720年)忌日の11月22日は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、冬の季語となっている(明治以降は新暦で行われる)。生誕 承応2年〈1653年〉命日 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉阿耨穆矣一具足居士<< 戻る 1725.11.22 人物
人物 祐天(ゆうてん) 祐天とは、浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師。字は愚心。号は明蓮社顕誉。 密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説がある。祐天の除霊伝説は存命中に書かれた『死霊解脱物語聞集』など、大衆向けに書かれた出版物によって広まった。生誕 寛永14年4月8日(1637年5月31日)命日 享保3年7月15日(1718年8月11日)<< 戻る 1718.07.15 人物
人物 尾形光琳(おがたこうりん) 江戸時代の画家、工芸家。画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。生誕 万治元年(1658年)命日 享保元年6月2日(1716年7月20日)法橋緒形青々堂光琳<< 戻る 1716.06.02 人物
人物 柳沢吉保(やなぎさわよしやす) 江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。生誕 万治元年12月18日(1659年1月10日)命日 正徳4年11月2日(1714年12月8日)永慶寺保山元養<< 戻る 1714.11.02 人物
人物 狩野常信(かのうつねのぶ) 江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。父は狩野尚信。幼名は三位、右近と称し、養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人などと号した。子に後を継いだ長男・周信、別に浜町狩野を興した次男・岑信、さらにそれを継いだ甫信がいる。生誕 寛永13年3月13日(1636年4月18日)命日 正徳3年1月27日(1713年2月21日)常心院古川道雲日観大居士<< 戻る 1713.01.27 人物
人物 徳川家宣(とくがわいえのぶ) 江戸幕府第6代将軍(在職:1709年 - 1712年)である。 甲府藩主・徳川綱重(甲府宰相)の長男で、母はお保良の方(長昌院)。正室は近衛基熙の娘・熙子(天英院)。子に徳川家継ほか。第3代将軍・徳川家光の孫に当たる。同母弟に松平清武、その子で甥に松平清方がいる。幼名は虎松。初名は綱豊。生誕 寛文2年4月25日(1662年6月11日)命日 正徳2年10月14日(1712年11月12日)文昭院殿贈正一位大相国公文昭院殿順蓮社清譽廓然大居士<< 戻る 1712.10.14 人物
人物 徳川綱吉(とくがわつなよし) 上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代征夷大将軍(在職:1680年 - 1709年)。第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。「生類憐みの令」生誕 正保3年1月8日(1646年2月23日)命日 宝永6年1月10日(1709年2月19日)常憲院殿贈正一位大相国公<< 戻る 1709.01.10 人物
人物 吉良義央(きら よしひさ/よしなか)- 吉良上野介義央 江戸時代前期の高家旗本。赤穂事件で浅野長矩により刃傷を受け、隠居後は赤穂浪士により邸内にいた小林央通、鳥居正次、清水義久らと共に討たれた。同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる場合が多い。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介。一般的には吉良上野介と呼ばれる。生誕 寛永18年9月2日(1641年10月5日)命日 元禄15年12月15日(1703年1月31日)霊性寺殿実山相公大居士<< 戻る 1703.12.15 人物
人物 徳川光圀(とくがわみつくに) 常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)命日 元禄13年12月6日(1701年1月14日)<< 戻る 1701.12.06 人物
人物 浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり) 播磨国赤穂藩3代藩主。官位は従五位下、内匠頭。官名から浅野内匠頭と呼称されることが多い。江戸城本丸大廊下にての刃傷とそれに続く赤穂事件で広く知られる。生誕 寛文7年8月11日(1667年9月28日)命日 元禄14年3月14日(1701年4月21日)冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士<< 戻る 1701.03.14 人物
人物 菱川師宣(ひしかわもろのぶ) 江戸時代の画家。生年は寛永7年から8年ともいわれる。享年64-65あるいは77。浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称されるのは、それまで本の挿絵でしかなかった浮世絵版画をひとつの作品と捉え直し、「浮世絵」というジャンルを確立したため。「見返り美人図」生誕 元和4年〈1618年〉命日 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉勝誉即友居士<< 戻る 1694.06.04 人物
人物 三井高利(みついたかとし) 江戸時代の商人である。通称は八郎兵衛。三井家(のちの三井財閥)の基礎を築いた。三井中興の祖と言われる。「現金掛け値なし」で呉服の廉価販売を始め、また呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆して切り売りをし、庶民の大人気となった。生誕 元和8年(1622年)命日 元禄7年5月6日(1694年5月29日)松樹院長誉宗寿居士<< 戻る 1694.05.06 人物
人物 土佐光起(とさみつおき) 江戸時代の土佐派を代表する絵師。和泉国堺出身。父は土佐光則。本姓は藤原、幼名は藤満丸。住吉如慶は父の門人。子は土佐光成、土佐光親。大和絵の主流だった土佐派にあきたらず、ライバルの狩野派や宋元画を学び、従来の温雅なやまと絵に克明な写生描法を取り入れ、江戸時代の土佐派様式を確立した。特に南宋の院体画家李安忠の「鶉図」(国宝。現在は根津美術館蔵)を父譲りの細密描法を用いてしばしば描き、後の土佐派の絵師たちに描き継がれている。江戸中期の国学者、有職故実家である橋本経亮は著書『梅窓筆記』(享和元年(1801年))で、光起の鶉の絵に猫が飛びかかったという伝承を記している。また画題の面でも、風俗画や草木図な... 1691.09.25 人物
人物 八百屋於七(やおやおしち) 江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。八百屋お七。墓所の円乗寺にあるお七地蔵堂の八百屋於七地蔵尊は現在、縁結びのパワースポットとしても知られている。生誕 寛文8年(1668年)命日 天和3年3月28日(1683年4月24日)妙栄禅定尼<< 戻る 1683.03.28 人物
人物 狩野探幽(かのうたんゆう) 江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の子。法号は探幽斎、諱は守信。早熟の天才肌の絵師、と評されることが多いが、桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、画面地の余白を生かした淡麗瀟洒な画風を切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。代表作は、二条城障壁画、名古屋城障壁画など多数。生誕 慶長7年1月14日(1602年3月7日)命日 延宝2年10月7日(1674年11月4日)玄徳院殿前法眼守信日道<< 戻る 1674.10.07 人物
人物 前田利次(まえだとしつぐ) 越中富山藩の初代藩主。 生涯. 元和3年(1617年)4月29日、加賀藩主・前田利常の次男として金沢で生まれる。寛永8年(1631年)に元服し、従四位下、侍従に叙任された。生誕 元和3年4月29日(1617年6月2日)命日 延宝2年7月7日(1674年8月8日)竜光院殿瑞巌良祥大居士<< 戻る 1674.07.07 人物
人物 石川丈山(いしかわじょうざん) 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東渓、三足など。生誕 天正11年(1583年)命日 寛文12年5月23日(1672年6月18日)至楽院殿白雪窻大居士<< 戻る 1672.05.23 人物
便り 慈光院-奈良県大和郡山市 ・慈光院 臨済宗大徳寺派 奈良県大和郡山市小泉町865寛文3年(1663) 小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。(リンク先より) << 戻る 1663.01.01 便り年表
人物 前田利常(まえだとしつね) 安土桃山時代末期から江戸時代初期の武将・大名。加賀藩の第2代藩主。加賀前田家3代。父・前田利家の特長を受け継いだ立派な体格の持ち主であり、その点が数多くいる利家の子供たちから利長の後継に選ばれる決め手となったという。家康の遺言などから家康は利常にかつてのライバルだった利家を見出して警戒していたとされ、幕府からは「底の知れぬ人」と警戒されていたとされる。金工師の後藤顕乗(下後藤)や後藤覚乗(上後藤)、蒔絵師の五十嵐道甫や清水九兵衛など、京都や江戸から優れた一流の名工たちを高禄で召し抱え、藩内の美術工芸の振興に努めた。生誕 文禄2年11月25日(1594年1月16日)命日 万治元年10月12日(1... 1658.10.12 人物
人物 左甚五郎(ひだりじんごろう/ひだのじんごろう) 左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。講談や浪曲、落語、松竹新喜劇で有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。生誕 文禄3年(1594年)命日 慶安4年4月28日(1651年6月16日)※諸説あり。法橋宗恵匠誉信士<< 戻る 1651.04.28 人物
人物 徳川家光(とくがわいえみつ) 江戸幕府の3代将軍。2代将軍秀忠の次男である。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみである。生誕 慶長9年7月17日(1604年8月12日)命日 慶安4年4月20日(1651年6月8日)大猷院殿贈正一位大相国公<< 戻る 1651.04.20 人物
人物 柳生十兵衛 (やぎゅうじゅうべえ/三厳/みつよし) 江戸時代前期の武士、剣豪、旗本。初名は七郎、諱は三厳、通称は十兵衛。 大和国柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南を務めた剣豪・柳生宗矩の子。始め徳川家光に小姓として仕えたが、主君の勘気に触れて出仕停止となり、後に許されて書院番を務める。生誕 慶長12年(1607年)命日 慶安3年3月21日(1650年4月21日)長岩院殿金甫宗剛大居士<< 戻る 1650.03.21 人物
人物 細川忠興(ほそかわただおき) 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子。室町幕府15代将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人の細川 三斎(ほそかわ さんさい)としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。生誕 永禄6年11月13日(1563年11月28日)命日 正保2年12月2日(1646... 1646.12.02 人物