940年

人物

平将門(たいらのまさかど)

平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐される。飛んできた矢が将門の額に命中し、あえなく討死した。その首は平安京へ運ばれ、晒し首となる。獄門が歴史上で確認される最も古い例が、この平将門であるといわれている。この平将門の乱は、ほぼ同時期に瀬戸内海で藤原純友が起こし...
便り

広渡寺-静岡県田方郡

・広渡寺 浄土宗 静岡県田方郡函南町間宮193開基 義延上人(ぎえんしょうにん)。石箏阿闍梨(せきそうあじゃり)と称し、下野国(しもつけのくに、今の栃木県)の豪 藤原文信の子にして、父文信の志願に依り、同国薬師寺の願得上人の門弟となる。石箏阿闍梨は、たびたび薬師の霊告を受け、天慶3年(940年)当国に来り、有縁の霊地を求め、一宇を草創して大蓮寺と称す。(リンク先より) << 戻る