850年

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毛越寺-岩手県西磐井郡

・毛越寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。 大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。(リンク先より)<< 戻る
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中尊寺-岩手県西磐井郡

・中尊寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。慈覚大師は天台宗第三代座主で、世界三大旅行記のひとつ『入唐求法巡礼行記』の著者としても知られています。大師の開山は「勧請開山」と言って、師の法を汲む人々がその徳を偲んで開山として仰いだものです。(リンク先より) << 戻る
人物

黄檗希運(おうばくきうん)

中国唐代の禅僧。諡は断際禅師。福州閩県の出身。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には 臨済義玄、裴休がいる。黄檗山黄檗寺を開創。『黄檗希運禅師伝心法要』生誕 命日 大中4年(850年)<< 戻る
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大覚寺-静岡県焼津市

・大覚寺大覚寺 曹洞宗 静岡県焼津市大覚寺1204嘉祥三(850)年、嵯峨天皇御領、入江荘を開き、伝弘法大師作薬師如来を本尊として真言宗大覚寺が開創されました。現在の「焼津市大覚寺」の地名としてこの地に残っています。たび重なる天災地変を受け大覚寺の法灯は永延二(998)年、荘園郷主大覚寺屋敷「本家 槇田家」の菩提寺として天台宗善修庵にひきつがれ、弘治三(1553)年曹洞宗全珠院に改められ、今日までの法灯を伝えています。(リンク先より) << 戻る