835年

人物

南泉普願(なんせんふがん)

中国唐の時代の禅僧。鄭州新鄭県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には趙州従諗、長沙景岑がいる。南泉山に禅院を構え、30数年間、南泉山を下ることがなかった。大和元年(827年)頃、宣歙観察使の陸亘の求めによって山を下り、名声が諸方にとどろき、門弟が数百になった。南泉斬猫。生誕 天宝7載(748年)命日 大和8年12月25日(835年1月27日)<< 戻る
人物

弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で、幼名を真魚(まお)といいました。延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤...
便り

金剛寺-和歌山県海草郡

・金剛寺 高野山真言宗 和歌山県海草郡紀美野町釜滝120天長十二年(835)人皇五十三代淳和天皇の御代、山城国天台山慈覚大師(円仁)がこの地に来り、山下の釜ノ淵の奇瑞に感じ一刀三礼木像を刻みこれを当山に安置した。この像は本尊薬師如来である。 創建当時は現在の寺院の側にある小高い丘に草庵を結び、そこに本尊を安置していたが鎌倉時代の初めごろ、泉州(大阪府)日根野のシナという人が本尊に帰依することを厚く、この人の寄進で伽藍を建立、ここに本尊を移した。脇士二躰は作者不詳であるが、天保二年(1645)仏工を招いて修覆しようとしたが成らず後高野山の良雲密師が補修を加えて開眼した。(リンク先より)<< 戻る
便り

長學寺-群馬県富岡市

・長學寺 曹洞宗 群馬県富岡市上高尾甲700承和二年(835年)山城国(京都府)高尾山神護寺の真済が勅命により関東諸国に一切経を納めましたが、上野国については、貫前神社宮司に適地を選定させ、その時当地に一堂を建てたと伝えられています。この時、地名を高尾山、寺号を祝融山高尾寺と呼び、「祝融」は火の神であり、楓谷の紅葉にちなむものとされています。(リンク先より) << 戻る