741年

人物

青原行思(せいげんぎょうし)

中国唐の時代の禅僧。吉州安復県出身。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には石頭希遷がいる。諡は弘済禅師。青原山浄居寺。子供の頃に寺に入り、しばらく修行した後に曹渓山(広東省韶関市曲江区)の大鑑慧能を尋ねて師事した。その後、故郷に帰って青原山に浄居寺(江西省吉安市青原区)を開く。後に弟弟子に当たる石頭希遷が大鑑慧能の死後に、第一座の勧めで来訪して弟子となり、その法を発展させ、その弟子筋からは、曹洞宗、雲門宗、法眼宗の三派が起こる。生誕 命日 開元28年12月13日(741年1月4日)<< 戻る
便り

国分寺-山口県防府市

・国分寺 高野山真言宗 山口県防府市国分寺町2-67・安芸 ⇒ 山陽道 周防 国分寺 ⇒ 長門国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。国分寺の正式名称は、金光明四天王護国の寺といいます。(リンク先より)<< 戻る
便り

国分寺-熊本県熊本市中央区

・国分寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区出水1-1-56・肥前 ⇒ 西海道 肥後 国分寺 ⇒ 日向国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。(リンク先より)<< 戻る
便り

金剛輪寺-滋賀県愛知郡

・金剛輪寺 天台宗 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺873奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山されました。言い伝えによりますと行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされました。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めています。(リンク先より) << 戻る
便り

修禅寺-山口県下関市

天平13年(西暦741年)には東大寺建立の四聖の一人である「行基菩薩」が、当山で修行したといわれ、奥の院(聖観音堂)には行基菩薩の御作と伝えられる「聖観世音菩薩」が安置されています。(リンク先より)・修禅寺<< 戻る
便り

東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る
便り

国分寺-高知県南国市

・國分寺 真言宗智山派 高知県南国市国分546・28番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺 ⇒ 30番札所・伊予 ⇒ 南海道 土佐 国分寺 ⇒ 筑前「諸国で最も良い土地を選んで建てよ。」という45代聖武天皇の勅願(みことのり)によって、高僧行基(西暦668~748年)が天平13年(西暦741年)に創建しました。天皇自らが金光明最勝王経を書写して納められ、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う祈願所として、金光明四天王護国之寺とも呼ばれてきました。後に弘法大師(空海 西暦774~835年)が真言宗の寺として中興し、四国八十八ケ所巡りの第二十九番霊場となり、お遍路さんの鈴の音...
仏教を本気で学ぶ

国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。<< 戻る