725年

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尊永寺-静岡県袋井市

・尊永寺 高野山真言宗 静岡県袋井市豊沢2777神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である法多山は、勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えています。(リンク先より) << 戻る
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日石寺-富山県中新川郡

・日石寺 真言密宗 富山県中新川郡上市町犬岩163※別名・金剛不壊寺日石寺の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりと伝えられています。古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せました。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退しましたが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所として堂宇が再建されます。 本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の...
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慈恩寺-大阪府池田市

・慈恩寺 曹洞宗 大阪府池田市吉田町485草創は725年(神亀2年)聖武天皇の勅(民の平安を図る)を受け、京へ通ず街道の要路「長尾山山頂」に往来安全・人民安泰祈願道場として毘沙門天・大黒天・弁財天を奉安しお堂を創建したのが甫まりです。その後は弘法大師により中興され慈薗寺として法灯が受け継がれ、1721年吉田町に創建された禅道場『陽松庵』が、その外護者の大半が細河住民であったこともあり、 同寺に庇護されるところとなって「慈恩寺」と生まれ変わることになりました。人の往来が谷筋に変わった事もあり、明治20年(1887)10月現在地に移転されて今日に至ります。(リンク先より) << 戻る
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性翁寺-東京都足立区

・木余り 性翁寺|龍燈山 貞香院 浄土宗 東京都足立区扇2-19-3神亀2年(725年)、この地に居住の足立之荘司宮城宰相が一人の娘「足立姫」と下女12人水死の難に遭った。父・荘司は悲嘆のあまり諸国廻行に出て熊野権現より霊木を授かり、海中に投げ入れると、霊木は当処へ流れ着いていた。 (旧来、熊の木の地名あり)この霊木を当地に行化の行基菩薩の御手で、六道流転化益に当たって六体の阿弥陀仏を彫刻し、六つの村里に安置して13人亡女子のため、 又、末代衆生利益のためとしたのが六阿弥陀の始まりである。(リンク先より)
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郷照寺-香川県綾歌郡

・郷照寺 時宗 香川県綾歌郡宇多津町1435・77番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺 ⇒ 79番札所奈良時代(8世紀初め・神亀2年(725))、行基菩薩が開創し仏光山・道場寺と称していた。本尊の阿弥陀如来は行基の作と言われる。後に、弘仁6年(815)弘法大使42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除のご誓願をなされたことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めている。その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わった。元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。(リンク先より)<< 戻る
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岩水寺-静岡県浜松市浜北区

・岩水寺 高野山真言宗 静岡県浜松市根堅2238神亀2年(西暦725年)。人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。(リンク先より) << 戻る
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葛井寺-大阪府藤井寺市

・葛井寺 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21・第四番 ⇒ 西国三十三所 第五番 紫雲山 葛井寺 ⇒ 第六番725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代に渡り制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられる。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られている。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。(リンク先より) << 戻る