717年

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願慶寺-石川県白山市

・願慶寺 単立(東本願寺浄土真宗) 石川県白山市吉野タ25-1伝承によれば当寺の草創は極めて古く、養老年間、僧泰澄が白山を開く時に、当寺に立ち寄って一夜の宿としたという。また、古老の語る民話では、『昔吉野の地には大きな沼があり、そこに一匹の龍が住んで、絶えず雨を降らせ、村民は田畑を作ることができずに困っていたという。ある時、たまたまこの地を訪れた高僧(泰澄か?)が泊めてもらった家でこの話を聞き、一晩の恩義に報いるため、三日三晩の祈祷の末、この龍を退治し、白蛇に姿を変えて、小さな祠の中に閉じ込めたという。(リンク先より)※養老年間 717年から724年 << 戻る
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那谷寺-石川県小松市

・那谷寺 高野山真言宗 石川県小松市那谷町ユ-122養老元年(717年)に泰澄が那谷寺を創建したと伝えられています。ここでは那谷寺の歴史に関わった人を紹介します。(リンク先より) << 戻る
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福通寺-福井県丹生郡

・福通寺 真言宗東寺派 福井県丹生郡越前町朝日7-61奈良時代の養老元年(西暦717年)、越の大徳(こしのだいとこ=越前のえらいお坊さん)泰澄大師により開かれたお寺です。言い伝えによれば、泰澄大師がこのあたりを巡錫(仏の教えを広め人々を救う修行をすること)していたところ、山に妖しい雲がただよい、ただならぬ気配が村をつつんでいるのに気がつかれました。村人にその理由を聞けば、この山に魔神が棲み、人々を苦しめているとのこと。人々は泰澄大師に魔神のたたりを鎮めてくれるように哀願しました。泰澄大師はその願いを聞きいれ、魔障うずまく山中に籠り、衆生済度(人々を救う)の仏である観音菩薩に祈りを捧げました。一...
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平泉寺-福井県勝山市

・平泉寺 天台宗 福井県勝山市平泉寺町平泉寺66-2白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われているのが白山平泉寺です。一帯は、最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄します。しかし、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失しました。(リンク先より) << 戻る
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大福寺-千葉県館山市

・大福寺 真言宗智山派 千葉県館山市船形835この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。(リンク先より) << 戻る
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大興善寺-佐賀県三養基郡

・大興善寺 天台宗 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。(リンク先より)※養老元年 717年 << 戻る
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大山寺-鳥取県西伯郡

・大山寺 天台宗 鳥取県西伯郡大山町大山9大山寺は、奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。 昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいういわゆる鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。(リンク先より)※養老年間 717年から724年<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝と言われる。<< 戻る