人物 徳富蘇峰(とくとみそほう) 明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る 1957.11.02 人物
人物 志賀潔(しがきよし) 医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。生誕 1871年2月7日(明治3年12月18日)命日 1957年(昭和32年)1月25日<< 戻る 1957.01.25 人物
人物 小林一三(こばやしいちぞう) 実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る 1957.01.25 人物
人物 牧野富太郎(まきのとみたろう) 植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957... 1957.01.18 人物
人物 有馬頼寧(ありまよりやす) 政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球球団オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。明治43年(1910)東京帝大農大学卒業後、農商務省に入り農政に携わる。大正6年(1917)年に辞職後は、東京帝大の講師、助教授となる一方、部落解放運動や農民組合運動を支援し、「革新」的な華族として注目される。13年衆議院議員、昭和4年(1929)貴族院議員、7年農村政務次官、12年第1次近衛内閣農相。他に産業組合の要職を歴任、近衛の側近として新体制運動に参画し、15年大政翼賛会の初代事務総長となった。戦後はA級戦犯として収容されたが不起訴。30年中央競馬会理事長となり、「... 1957.01.09 人物