1868年

年表

一世一元の制

1868年9月、一世一元の制。明治天皇が即位。年号を明治と改め、天皇一代につき年号は一つとした。<< 戻る
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沖田総司(おきたそうじ)

幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。生誕 天保13年(1842年)命日 慶応4年5月30日(1868年7月19日)賢光院仁誉明道居士<< 戻る
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近藤勇(こんどういさみ)

江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜という。慶応4年からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。生誕 天保5年10月9日(1834年11月9日)命日 慶応4年4月25日(1868年5月17日)貫天院殿純忠誠義大居士<< 戻る
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小栗忠順(おぐりただまさ)

江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。 通称は又一。「又一」は、代々小栗家当主が名乗る名前。安政6年、従五位下豊後守に叙任。文久3年、上野介と改名した。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英。安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。生誕 文政10年6月23日(1827年7月16日)命日 慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)陽寿院殿法岳浄性大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

神仏分離令、廃仏毀釈(しんぶつぶんりれい、はいぶつきしゃく)

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府は神仏分離令出す。廃仏毀釈によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)はゆきすぎた仏教廃止運動でした。明治維新の復古思想から神道を国教とする考えがあり、神仏分離令がだされ、神社から仏教的なものがのぞかれました。神官を先頭とする群衆が寺をおそって仏像や仏具を焼いてしまいました。奈良の興福寺の五重塔は、わずか25円(一説には250円)で売りにだされたといいます。<< 戻る
年表

戊辰戦争

1868年、西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸は戦火から守られたが、徳川慶喜に対する朝廷の処置に不満をもった旧幕府側の大名や武士たちは、薩長を中心とする新政府と対立し、各地で反抗した。鳥羽・伏見の戦いから函館五稜郭の戦いで抵抗したが、新政府軍に敗れた。この一連の戦いを戊辰戦争という。<< 戻る
年表

江戸城開城

1868年、江戸城開城。<< 戻る
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五箇条の御誓文

1868年、五箇条の御誓文が発せられる。新政府の政治の方針。天皇が神に誓うというかたちで発表された。同時に民衆に対し、五榜の掲示。<< 戻る
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学侶、行人、聖の三派が廃止

明治元年(1868年)、学侶、行人、聖の三派が廃止される。<< 戻る