1865年

人物

武市瑞山(たけちずいざん)- 武市半平太(たけちはんぺいた)

幕末の志士、土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市半平太と呼称されることも多い。優れた剣術家であり、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参政・吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。京都と江戸での国事周旋によって一時は藩論を主導し、京洛における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。1年8か月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。生誕 文政12年9月27日(1829年10月24日)命日 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)常照院日...
人物

岡田以蔵(おかだいぞう)

江戸時代末期の土佐藩郷士。司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。諱は宜振(よしふる、読みに諸説あり)。幕末の四大人斬りの一人。武市瑞山(半平太)に師事し、小野派一刀流(中西派)の麻田直養(勘七)に剣術を学ぶ。薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。1863年の八月十八日の政変後、土佐勤王党は大弾圧を受け、翌年に以蔵も捕らえられ苛烈な拷問を受ける。慶応元年(1865年)閏5月11日に打ち首、獄門となった。生誕 天保9年1月20日(1838年2月14日)命日 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)<< 戻る