1863年

人物

芹沢鴨(せりざわかも)

幕末の水戸藩浪士、壬生浪士の初代筆頭局長。前名は下村嗣次と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされるが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていない。生誕 天保3年(1832年)命日 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)<< 戻る
人物

緒方洪庵(おがたこうあん)

江戸時代後期の武士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖と言われる。 諱は惟章または章、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。生誕 文化7年7月14日(1810年8月13日)命日 文久3年6月10日(1863年7月25日)華陰殿法眼文粛居士<< 戻る
人物

清河八郎(きよかわはちろう)

江戸時代末期の庄内藩出身の志士。田中河内介と共に九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。 幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。生誕 文政13年10月10日(1830年11月24日)命日 文久3年4月13日(1863年5月30日)<< 戻る
年表

薩英戦争

1863年、生麦事件への報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。<< 戻る