
大塩平八郎(おおしおへいはちろう)
江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。 通称は平八郎、諱は正高、のち後素。字は子起。号は中斎。家紋は揚羽。大塩家は今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めており、平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたる。大坂天満に生まれた。大塩平八郎の乱は江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1836年(天保7)は大飢饉(ききん)であったため、凶作・飢饉により米価が高騰し、大坂市中には飢餓による死者が続出していた。もと大坂町奉行与力(まちぶぎょうよりき)であり陽明学者であった大塩平八郎は、こうした市中の惨状を見て、養子格之助(かくのすけ)を通じ、救済...