1823年

年表

山内出火により東本願寺両堂消失

1823(文政六)年11月、山内出火により東本願寺両堂消失。<< 戻る
人物

大田南畝(おおたなんぽ)

天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。生誕 寛延2年3月3日(1749年4月19日)命日 文政6年4月6日(1823年5月16日)<< 戻る
便り

福聚寺-京都府舞鶴市

・福聚寺 臨済宗東福寺派 京都府舞鶴市字常721伝承によると、福聚寺は、常村北側山腹にあり、火事で焼け1823年【文政6年】現在地に移りました。その後1927年【昭和2年】藁葺き屋根から瓦葺屋根に吹き替え現在に到っております。(リンク先より) << 戻る
年表

シーボルトが鳴滝塾を開く

1823年、シーボルトが鳴滝塾を開く。<< 戻る