1672年

人物

石川丈山(いしかわじょうざん)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東渓、三足など。生誕 天正11年(1583年)命日 寛文12年5月23日(1672年6月18日)至楽院殿白雪窻大居士<< 戻る
便り

法雲寺-大阪府堺市美原区

・法雲寺 黄檗宗 大阪府堺市美原区今井192-甲黄檗三傑の1人、慧極道明禅師によって寛文12年(1672年)に開山された黄檗堀出観音(秘仏)宗の中本山格の寺であります。山門・天王殿・大殿(本堂)・開山堂・耀先殿など、黄檗様式の建物群としてのまとまりと、全てではないものの建築当初の伽藍構成を今に残しており、寺伝によれば、法雲禅寺の前身は弘法大師の開基で神福山長安寺と称する真言宗の巨刹でありましたが、元和年間(1615年~24年)に西除川の氾濫によって流失しました。(リンク先より) << 戻る
年表

河村瑞賢が西回り航路をひらく

1672年、河村瑞賢が西回り航路をひらく。<< 戻る