1661年

便り

随善寺-大分県由布市

・随善寺-大分県由布市 真宗大谷派 大分県由布市庄内町東大津留420-1寛文元年(1661年)から世代を超えて勤めてまいりたいと存じております。(リンク先より) << 戻る
便り

浄善寺-福岡県飯塚市

・浄善寺 浄土宗 福岡県飯塚市鯰田1349境内に十一面観音(修復計画中)、弘法大師門有り、又、立花実山の葬儀を司ったという証の戒名が現存する最古の過去帳にみることが出来る。嘉穂郡誌によると、浄善寺は寛文(1661~1663)初年に浄冏和尚によって開基されたとある(嘉穂郡寺院明細帳)(リンク先より) << 戻る
便り

萬福寺-京都府宇治市

・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る
便り

喜雲寺-岩手県盛岡市

・喜雲寺 曹洞宗 岩手県盛岡市玉山区下田宇生出袋54喜雲寺は、江戸時代前期(1661~73年)、下田城主の下田弥三郎秀祐を開基に、報恩寺(盛岡市)10世・天山宝尭和尚を請して開山しました。下田(もと石亀)氏は南部氏の家臣で、三戸から同行した人物でもありました。さらに歴史をさかのぼると、初代盛岡城主の26代南部信直公が、子が病死した地である北上川べりに堂を建立したのが喜雲寺の起こりとも言われています。(リンク先より) << 戻る
便り

善養寺-兵庫県姫路市

・善養寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市八代本町1-16-36善養寺は過去帳によりますと、江戸時代初期1661年にこの八代の地に浄土真宗の寺院として創建されました。(リンク先より) << 戻る
便り

大源寺-岐阜県安八郡

・大源寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県安八郡神戸町瀬古256-1大源寺の創建は定かではありません。元は現在地の北東2キロほどのところにありましたが、水害により消滅しておりました。寛文元年(1661年)に、大垣藩主戸田肥後守氏西の庇護のもと、慈溪寺二世の密雲和尚の隠居所として再興されました。(リンク先より) << 戻る
便り

道往寺-東京都港区

・来迎山 道往寺 浄土宗 東京都港区高輪2-16-13道往寺は江戸時代の寛文年間(1661年-73年)に建立されました。道往寺の一帯は、かつて東京湾に面した高台でした。高輪の海岸線の景色は、葛飾北斎「阿蘭陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景高縄」に描かれています。また、江戸時代後期には「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集めました。(リンク先より) << 戻る
便り

永昌院-岐阜県美濃市

・永昌院 曹洞宗 岐阜県美濃市安毛711寺伝によると、寛文元年(1661)。当時、安毛村(あたげむら)であったこの地に玄徴尼が来住した事に始まります。その後、同、寛文十年(1670)に、現在の関市下有知の龍泰寺二十世、鰲山正(見)雪大和尚(ごうさんしょうせつ)が一寺を建立し、開山となり、太平山 永昌院となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

龍門寺-兵庫県姫路市

・龍門寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県姫路市網干区浜田812盤珪永琢国師の根本道場として寛文元年(1661)に創建されました。創建時の遺構をほぼそのままに遺して300年の法灯を持続しています。(リンク先より) << 戻る
便り

十楽寺-滋賀県甲賀市

・十楽寺 浄土宗 滋賀県甲賀市土山町山中351元来、天台の寺であったものが信長の兵火に会い消失する。寛文年間(1661年〜)巡化僧広誉可厭大和尚、現在の地に錫を留め専修念仏浄土の寂光を宣揚せんことを念願し広く十方有志の助成を仰ぎ万人講を勧募し本堂、庫裏、茶所を完成し、清浄山二尊院十楽寺と名称し念仏道場と定め、浄土宗総本山知恩院の直轄末寺となり今日に及ぶ。(リンク先より) << 戻る