1633年

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光恩寺-京都府京都市下京区

・光恩寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30親鸞聖人御染筆名号一幅、 覚如上人御染筆二幅を供奉し、京都に上京し、烏丸五条に居住し、法名を祐心と改め道場を仮説し、 寛永十年十二月光恩寺と寺号を公称し、是を光恩寺初代となし、累世相続し、現在に及ぶ(リンク先より)※寛永十年 1633年 << 戻る
人物

佐竹義宣(さたけよしのぶ)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。出羽国久保田藩(秋田藩)初代藩主。佐竹義重の長男。母は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従兄にあたる。官位は従四位上・左近衛中将、右京大夫。佐竹氏19代当主。生誕 元亀元年7月16日(1570年8月17日)命日 寛永10年1月25日(1633年3月5日)浄光院殿傑堂天英大居士<< 戻る
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養源寺-鳥取県鳥取市

・養源寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市職人町45御本尊  阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基  慶心大和尚(俗名 上田半蔵) 遷移  岐阜県大垣市→愛知県豊橋市→岡山市→鳥取市(1633年)(リンク先より) << 戻る
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海禅寺-愛媛県今治市

・海禅寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県今治市山方町2-甲1167当寺院はそもそも「海會寺(かいえじ)」という名前で、戦国乱世の間、長年に渡り荒廃していましたが、江戸時代前期の寛永十年(1633年)に入り、天嶺玄嶝(てんれいげんとう)和尚を開山住職として迎え、今治藩主・藤堂高吉公から免許状を拝領して海禅寺と名を改めて開創されました。(リンク先より) << 戻る
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本覚寺-和歌山県西牟婁郡

・本覚寺(貝寺) 浄土宗 和歌山県西牟婁郡白浜町瀬戸627本覚寺の創建について、詳細は残っておらず、応仁年間(1467~69年)との一説もありますが、過去帳によると、寛永10年(1633年)から始まったとされています。旧記によれば、古来白良浜(白浜町)の奥寺谷にあった真言宗のお寺を、元禄年間に現在の瀬戸に移し、その際に浄土宗に改宗したとされています。(リンク先より) << 戻る
年表

勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失

1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。その時の様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書かれています。「正月九日亥の刻(午後10時)火が出て、私は一番に方丈に入り火の元に行ったが、すでに小方丈北側半分まで火が移っていた。霊巌上人は猛火の中に飛び込もうとしていたのでそれをなだめ、人を付けてお護りした。私は奥に入り権現様や秀忠公ご拝領の品などを持ち出した。御影堂に延焼するのを防ぐ為、霊巌上人や寺内の衆、一心院住持、近辺の衆と共に御影堂北側の廊下を切り離そうとした。そこへ周防守様の御家中木下宮...