1611年

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加藤清正(かとうきよまさ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれています。「清正公忌」生誕 永禄5年6月24日(1562年7月25日)命日 慶長16年6月24日(1611年8月2日)浄池院殿永運日乗大居士<< 戻る
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真田昌幸(さなだまさゆき)

は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の...
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浅野長政(あさのながまさ)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣政権の五奉行の内で最大の大名。浅野家14代当主。常陸国真壁藩初代藩主。 長政は晩年の改名で、初名の長吉を名乗っていた時期が長い。生誕 天文16年(1547年)命日 慶長16年4月7日(1611年5月29日)伝正院殿前霜台功山道忠大居士<< 戻る
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雲光院-東京都江東区

雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る
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瑞泉寺-京都府京都市中京区

・慈舟山 瑞泉寺 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市中京区木屋町通三条下る石屋町114慶長16年(1611年)。時の豪商角倉了以翁は運河として高瀬川を開削する工事をおこなっていました。その途中三条辺りにさしかかったとき、「塚」が荒廃している様子を発見。秀次公とそのご一族に以前から深く同情していた了以翁は、浄土宗西山派の僧「立空桂叔和尚」(後に瑞泉寺の開山上人)と計り、荒廃した墓域を整理すると共に、ご一族の菩提を弔う寺をその場所に建立することとしました。山号は、高瀬川を往来する船に因んで「慈舟山」。寺名は、京極誓願寺の中興教山上人が新たに秀次公に贈った法名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」からとって「瑞泉寺...
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本行寺-岡山県岡山市北区

・本行寺 顕本法華宗 岡山県岡山市北区蕃山町3-5慶長16年(1611年)に、一音院日円上人が、姫路城主で備前国(岡山)を兼ねて領していた池田輝政公の外護により、以前の岡山市野田屋町の地に日蓮宗妙満寺派(現在・顕本法華宗)の寺院として創建された。(リンク先より) << 戻る