1608年

人物

木食応其(もくじきおうご)

安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名を応其、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。小瀬甫庵の『信長記』では出家は25~6歳の頃であるとしている。また高野山入山のおり、十穀を絶つ木食行を行うことを発願している。応其は「客僧」という立場であり、学侶や行人、高野聖とも異なる存在であった。また密教大辞典では天下人から厚遇を受けた政遍からも戒を受け、仁和寺宮仁助法親王より三部の大法を受...
人物

狩野光信(かのうみつのぶ)

安土桃山時代の狩野派の絵師。狩野永徳の長男。狩野探幽は弟・孝信の子供で甥に当たる。名は四郎次郎、通称は右京進。子の貞信も右京進と称し、両者を区別のため後に古右京とも呼ばれた。園城寺勧学院客殿一之間「滝図」「四季花木図」 、法然院障壁画 、豊臣秀吉像画、など多数。生誕 永禄8年(1565年、永禄4年(1561年)説もある)命日 慶長13年6月4日(1608年7月15日)<< 戻る